「大和 (戦艦)」の版間の差分

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m →‎最期: 同型艦→大和型戦艦|同型艦
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横転は14時23分(転覆が正しいかもしれない)。第2・第3主砲塔の[[弾薬庫]]が大爆発(機関部が[[水蒸気爆発]]を起こしたという説もある)、艦体はバラバラになり海に沈んだ。そのときに発した[[火柱]]や[[キノコ雲]]は、遙か鹿児島でも確認できたという。だが、視認距離を求める公式L1(km)=116.34×(√ho(km)+√ht(km))(←L1は水平線上の最大視認距離、ho は水面からの眼高。ht は目標の高さ。坊の岬最高点は96.9m 爆煙が雲底到達した高度は1,000m)に当てはめてみると視認距離は152.6Kmとなり、計算の結果は213キロ以上も離れた鹿児島県からは確認できないこととなる。例外として、山などの高いところに上がれば視認は可能となるが、当日の悪天候の気象条件から見て、鹿児島県内の山などからこれを確認するのは至難の技となるだろう。爆発は沈没してからという意見と、沈没前という意見と両方あるが、転覆後という点では一致している。大和沈没により古村啓蔵少将は一時は作戦続行を図って暗号を組んでいたものの、結局は作戦中止を司令部に要求し、生存者を救助のうえ帰途についた。
 
[[大和型戦艦|同型艦]]の「武蔵」が魚雷20本以上・爆弾20発近くを被弾し、炎上しながら9時間程耐えたのに比べ「大和」はいささか早く沈んだ印象があるが、これは被弾魚雷の内1本(日本側記録では7本目)を除いては全て左舷に集中したためと、低い雲に視界を遮られて大和側から敵機の視認が困難を極めたからであり、大和の操艦や性能が武蔵に劣っていたわけではない。[[アメリカ合衆国軍|米軍]]航空隊は「武蔵」一隻を撃沈するのに5時間以上もかかり手間取った点を重視し、大和型の攻略法を考えていた。その方法とは片舷の対空装備をロケット弾や急降下爆撃、機銃掃射でなぎ払った後、その側に魚雷を集中させて横転させようという物で、実際に第一波攻撃では「大和」は魚雷を被弾していない(1発被弾したという資料もある)。また、主砲は傾斜5度、副砲は10度、高角砲は15度以上になると射撃不能とすることもできた。
しかしながら、米軍側と日本側の戦闘記録による命中数と被弾数には大きな食い違いがあり、魚雷に至っては米軍側は一説では30本以上の命中を主張しており、その戦闘の激しさを物語っている。