「関長政」の版間の差分

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{{武士/藩|美作宮川藩主}}
{{武士/氏族|[[関氏]]→[[森氏]]}}
{{武士/父母|父:[[関成次]]、母:[[森忠政]]の娘}}
{{武士/兄弟|[[森長継]]、'''関長政'''、[[関衆之]]}}
{{武士/妻|正室:[[真田信吉]]の娘}}
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{{武士/終了}}
 
'''関 長政'''('''せき ながまさ''')は、[[江戸時代]]の[[大名]]。[[美作国|美作]][[津山藩#宮川藩|宮川藩]]の初代[[藩主]]。[[新見藩]]関家初代
 
慶長17年(1612年)、美作[[津山藩]]の初代藩主・[[森忠政]]の重臣・関成次の次男として生まれる。忠政は実子が早世していたため、その死後は忠政の娘を生母とする兄・森長継が第2代藩主として後を継いだ。このため、兄より1万8700石を分与されて津山藩の支藩である宮川藩を立藩する。なお、立藩の時期は『[[徳川実紀]]』によれば[[寛永]]11年([[1634年]])、『[[恩栄録]]』によれば寛永14年([[1637年]])、『[[寛政重修諸家譜]]』では[[承応]]元年([[1652年]])と諸説あって明確ではない。
 
元禄2年([[1689年]])6月6日、甥で[[養子]](甥)の関長治に家督を譲って[[隠居]]する。元禄11年(1698年)に死去。享年87。
 
{{先代次代|[[津山藩#宮川藩|関氏(宮川藩初代)藩主]]|? - 1689年|-|[[関長治]]}}