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{{Infobox 人物
|氏名=ジョン・ペン
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|画像説明=ジョン・ペン
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'''ジョン・ペン'''([[英語|英]]:John Penn、[[1741年]][[5月17日]]-[[1788年]][[9月14日]])は、現在の[[アメリカ合衆国]][[ノースカロライナ州|ノースカロライナ]]の代表として[[アメリカ独立宣言]]と[[連合規約]]に署名した者の一人である。ペンは[[ペンシルバニア州|ペンシルバニア]]の創設者[[ウィリアム・ペン]]の遠い親戚である。
 
== 生涯 ==
ペンは[[バージニア州|バージニア]]、[[キャロライン郡 (バージニア州)|キャロライン郡]]にあるポートロイヤル近くで、モーゼス・ペンとキャサリン・テイラー夫妻の息子として生まれ、家庭内で教育を受けたので、公式の教育はほんの数年間受けただけだった。18歳のときに父親が死に、親戚の[[エドマンド・ペンドルトン]]と共に法律を独学した。[[1762年]]にバージニアで弁護士となり、[[1774年]]にノースカロライナ、グランビル郡のウィリアムズボロに転居し、ここでも法律実務を行った(ウィリアムズボロは南北戦争後にグランビル郡から分かれて、現在バンス郡の一部である)。
 
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ペンはノースカロライナ植民地議会議員に選ばれ、この議会によって[[1775年]]から[[1780年]]まで大陸会議代表に選ばれ、この時にアメリカ独立宣言に署名した。また[[1780年]]まで戦争委員会で務め、その後引退して法律実務に戻った。[[1777年]]、連合規約に署名したノースカロライナの者の一人となった。[[1784年]]にはノースカロライナの徴税吏となった。[[1788年]]に死んだとき、グランビル郡のアイランドクリーク近くの地所に葬られたが、後の1894年に、代議員仲間であった[[ウィリアム・フーパー]]と共にギルフォード・コートハウス国立軍事公園に移葬された。
 
[[アメリカ海軍]]の艦船USS''ジョン・ペン''は彼に因んで名付けられた<ref>[http://ibiblio.net/hyperwar/USN/ships/dafs/APA/apa23.html USS John Penn (AP-51/APA-23), Dictionary of American Naval Fighting Ships, Office of the Chief of Naval Operations, Naval History Division, Washington]</ref>
 
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*[http://www.ushistory.org/declaration/signers/penn.htm Biography and portrait at USHistory.org]
 
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[[Category:1741年生]]