「アラン・コーマック」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
R28Bot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: ht:Allan McLeod Cormack
DEFAULTSORT
5行目:
'''アラン・コーマック'''('''Allan MacLeod Cormack'''、[[1924年]][[2月23日]] - [[1998年]][[5月7日]])は[[南アフリカ共和国]]生まれの[[アメリカ合衆国]]の[[物理学者]]。[[コンピュータ断層撮影]] (CT) 技術の開発により、[[1979年]]に[[ノーベル生理学・医学賞]]を受賞した。
 
南アフリカの[[ヨハネスブルグ]]にて生まれる。[[ケープタウン]]の[[Rondebosch Boys' High School]]に通った。[[討論]]と[[テニス]]に積極的であった。[[ケープタウン大学]]において[[1944年]]に[[物理学]]にて[[B.Sc.]]を取得。[[1945年]]には[[結晶学]]にて[[M.Sc.]]を取得。[[1947年]]から[[1949年]]は[[ケンブリッジ大学]]の[[研究生]]であった。[[ケンブリッジ]]にいたとき、将来の妻になる物理学の学生と出会う。
 
結婚後、[[1950年]]代前半、彼はケープタウン大学に戻り、講義を行う。[[1956年]]から[[1957年]]にかけての[[ハーバード大学]]での長期有給休暇の直後、夫妻はアメリカ合衆国に引っ越すことに決め、[[1957年]]秋、[[タフツ大学]]の教授に就任した。[[1966年]]にアメリカ合衆国に[[帰化]]。彼は主に[[粒子物理学]]の研究を行うが、他に[[X線]]の技術にも興味を抱き、CTの理論的な土台を開発した。この研究は、ケープタウン大学と[[グローテ・シューア病院]]にて1956年に始められ、1957年中旬、長期有給休暇から戻ってから簡潔に継続させられた。この結果は、[[journal of applied physics]]にて[[1963年]]と[[1964年]]に二本の論文として発表された。この論文は、[[ゴッドフリー・ハウンズフィールド]]とその同僚が、コーマックの理論を用いて[[1972年]]にCTの装置を実際に開発するまで、ほとんど注目されていなかった。このことにより、コーマックとハウンズフィールドは1979年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。
 
[[マサチューセッツ州]]にて74歳で[[癌]]により死去。死後、CTの開発者の一人という科学者としての顕著な業績により、[[2002年]][[12月10日]]に[[マプングブェ勲章]]を授与された。
 
{{ノーベル生理学・医学賞受賞者 (1976年-2000年)}}
 
[[Category:アメリカ合衆国の物理学者|こまつく あらん]]
[[Category:生物物理学者|こまつく あらん]]
[[Category:ノーベル生理学・医学賞受賞者|こまつく あらん]]
[[Category:1924年生|こまつく あらん]]
[[Category:1998年没|]]
{{DEFAULTSORT:こまつく あらん]]}}
{{Medical-stub}}
{{people-stub}}
{{ノーベル生理学・医学賞受賞者 (1976年-2000年)}}
 
[[ca:Allan McLeod Cormack]]