「カレル・リスモン」の版間の差分

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Point136 (会話 | 投稿記録)
m bot: rdr回避 (-アメリカ +アメリカ)
Point136 (会話 | 投稿記録)
m Bot: rdr 東ドイツ
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リスモンは、1971年のヨーロッパ選手権の10000mに出場し28分31秒2の記録で16位という結果を残す。そのときまだリスモンの名はあまり知られていなかった。5日後、彼はマラソンに出場する。このレースは[[イギリス]]のトレバー・ライトやロン・ヒル、ベルギーの[[ガストン・ローランツ]](Gaston Roelants)らが優勝候補に挙げられており、リスモンは下馬評にもあがっていなかったが2時間13分09秒のタイムで見事勝利した。
 
1972年ミュンヘンオリンピックに出場。2時間14分31秒のタイムで、優勝した[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[フランク・ショーター]](Frank Shorter)に次いで銀メダルを獲得。さらに4年後のモントリオールオリンピックにも出場。2時間11分12秒のタイムで、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]の[[ワルデマール・チェルピンスキー]](Waldemar Cierpinski)、アメリカのショーターに次いで銅メダルを獲得。2大会連続の表彰台となった。
 
さらに、2年後の1978年ヨーロッパ選手権、さらに1982年のヨーロッパ選手権でも銅メダルと、ヨーロッパ選手権でも2大会連続、3回の表彰台に立つこととなった。