「北朝鮮核問題」の版間の差分

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*5)建設中断中の秦川200MW[[黒鉛炉]](年間核兵器40個分のPu生産)
 
しかし[[イラク戦争]]での死傷者続出、開戦理由だったイラクの大量破壊兵器開発が誤りだったことが判明したため、国民の反発を受けて米[[共和党]]は上下両院で米民主党に多数を奪還された。そのためブッシュ政権ではイラク戦争を推進してきた[[新保守主義 (アメリカ)|ネオコン]]が次々に辞職に追い込まれ、北朝鮮に対して大幅に妥協し、実質はなくても形式的に「対話による核廃棄」を妥結させて政権浮揚材料にしようとする[[コンドリーザ・ライス]]国務長官の勢力が主導権を握った。
 
2006年12月から2007年2月が葛藤の時期であった。2007年1月にクリントン政権で国防長官であったウィリアム・ペリーは米下院外交委員会で下記の発言を行った