「伊勢亀山藩」の版間の差分

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== 概要 ==
伊勢亀山は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]、[[織田信長]]、[[豊臣秀吉]]に仕えた[[関盛信]]が領していた。盛信の子・[[関一政]]は[[美濃国]]多羅に移封されたが、[[関ヶ原の戦い]]における功績で、旧領に復帰したのである。しかし[[1611年]]、[[伯耆国]]黒坂へ移封。代わって[[三河]]作手より[[松平忠明]]が入るが、やがて[[大坂城]]主として移封された。
 
その後、しばらくは[[天領]]となっていたが、やがて三河挙母より[[三宅康信]]が1万石で入る。だが、子の康盛のときに旧領へ戻された。代わって三河西尾より[[本多俊次]]が5万石で入るが、[[近江国]]膳所へ移封。それと入れ替わりで[[石川憲之]]が5万石で入るが、[[山城国]]淀へ移封。[[下総国]]関宿より[[板倉重常]]が5万石で入るが、[[板倉重治]]のとき、[[志摩国]]鳥羽へ移封。入れ替わりで[[松平乗邑]]が6万石で入るが、山城淀へ移封。再び板倉重治が戻ってきて、子の[[板倉勝澄]]が後を継ぐが、[[備中国]]松山へ移封と、藩主家の交替が激しい土地であり、藩主の長期間における支配が定着しなかった。
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== 関連項目 ==
*[[藩の一覧]]
 
[[Category:藩|いせかめやまはん]]