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'''モーリス・ホワイト'''(''Maurice White''、[[1941年]][[12月19日]]-)は、[[アース・ウィンド・アンド・ファイアー]]の[[バンド (音楽)|バンド]]リーダーで、[[ミュージシャン]]。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[テネシー州]][[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]出身。
 
== 経歴 ==
[[1941年]]、メンフィスにて生まれ、[[1953年]]にドラムを始める。1960年代初めに[[シカゴ]]に越し、後に[[チェス・レコード]]の専属ドラマーとなる。[[1966年]]にピアニストの[[ラムゼイ・ルイス]]のバンドに加入する。この頃よりライヴで[[カリンバ]]を演奏している。
 
[[1969年]]にラムゼイの下を離れ、自身のグループ、『ソルティ・ペパーズ』を結成し、[[キャピトル・レコード]]からシングルを残す。これがアース・ウィンド・アンド・ファイアー(以後EWF)の前身となる。[[1970年]]にモーリスは[[占星術]]によると土、風、火の要素があるからと言う事からと、[[宇宙論]]を結びつけ、''Earth, Wind & Fire''(土と風と火)と改名した。また拠点を[[ロサンジェルス]]に変え、[[ワーナー・ブラザーズ・レコード|ワーナー]]と契約した。兄弟の[[ヴァーダイン・ホワイト|ヴァーダイン]]に[[フレッド・ホワイト|フレッド]]を含めた10人の大所帯バンドとなる。2作リリースするがヒットはせず。
 
[[1972年]]に活動拠点を[[ロサンジェルス]]に変え、[[コロムビア・レコード]]に移籍、[[フィリップ・ベイリー]]が加入。フィリップとモーリスのツインヴォーカル、重厚なホーン・セクションが特徴となる。コロムビアには以後[[1990年]]まで在籍する。[[1975年]]には''That's the Way of the World''『[[暗黒への挑戦]]』を、同名の映画の[[サウンド・トラック]]としてリリースするが、映画はヒットせず。この映画にはモーリスも出演している。
 
[[1976年]]に自己プロダクション、カリンバ・エンタテインメントを設立。"Boogie Wonderland"に参加している[[エモーションズ]]や[[デニース・ウィリアムス]]、[[ラムゼイ・ルイス]]等をプロデュースしている。[[1978年]]にはCBS/コロムビアの元、[[ARCレコード]]を設立。
 
[[1983年]]に発表した''Electric Universe''より、その大きな売りであったホーン・セクションを捨て、打込みによる電子音が特徴となる。このアルバムをリリース後、活動を一時停止、各メンバーはそれぞれソロ活動に移る。モーリスは[[1985年]]に、20072008年現在唯一のソロ・アルバムとなる、''Maurice White''を発表、"I Need You"がヒットチューンとなる。
 
[[1987年]]に"Touch the World"をリリースし、活動を再開。1990年代に入ると、プロデューサー業に専念するようになるが、[[1994年]]の全米ツアーには参加せず。この頃よりモーリスは[[パーキンソン病]]に罹ったため、[[1995年]]にライヴ活動をリタイア、以来のEWFの活動はフィリップが中心となっている。またモーリスは同年にラムゼイ・ルイス等のグループ[[アーバン・ナイツ]]の立ち上げにプロデューサーとして関与している。
 
[[2004年]]にモーリスと共にEWFは来日公演したが、これがモーリス込みで最後の公演とも噂される。[[2007年]]には[[スタックス・レコード]]([[コンコード・レコード]]により復活)より、EWFの[[トリビュート・アルバム]]''Interpetations''をリリース。モーリスは[[エグゼクティヴ・プロデューサー]]としてこのプロジェクトに参加。
 
== 外部リンク ==