「国鉄3150形蒸気機関車」の版間の差分

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元は、[[鉄道作業局]]が[[1904年]](明治37年)3月に自局の神戸工場で4両を製作した[[車軸配置]]2-6-2(1C1)形のタンク機関車で、番号は'''521 - 524形'''(後に'''B7形''')と称した。[[鉄道国有法|私鉄国有化]]を受けて[[1909年]](明治42年)に実施された鉄道院の車両形式称号規程では、'''3150形'''('''3150 - 3153''')に[[改番]]された。
 
[[東海道本線|東海道線]][[京都駅|京都]]・[[膳所駅|馬場]]間の急勾配区間で使用するために製作されたもので、先に[[ボールドウィン・ロコモティブ・ワークイギリ|ボールド]]の[[ナスミス・ウィルソン]]から輸入されたB5形(後の[[国鉄3080形蒸気機関車|3080形]])と用途面では共通であるが、同じ神戸工場で製作されたB6形(後の2120形)との共通点も多い。また、当時、神戸で汽車監察方を務めていた、[[1902年]]からトレビシックの指導により[[1902年]]から製作着手され、縁室前板の形状は彼の流儀の前板のみを下広がりとしたものである。
 
配置は終始京阪神地区で、大阪、神戸、梅小路などに所属し[[貨物列車]]の牽引に使用されていたが、[[1922年]](大正11年)7月に全車が[[廃車 (鉄道)|廃車]]解体され、民間に払下げられたり、保存されたものはない。