「シンガーソングライター」の版間の差分

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基本的に自ら歌う歌の、[[作詞]]、[[作曲]](歌手によっては、[[編曲]]も自ら行う事もある)を自分で行う[[歌手]]を指す。しかし、作詞と作曲のうち、作曲のみしかしていない場合でも、一般的にはシンガーソングライターというのに対し、作詞のみしかしていない場合には、シンガーソングライターとは言わないことが多い。また、自作をしていても、自演曲の中で自作曲の割合が小さい場合には、通常シンガーソングライターとはいわない(例えば、[[アイドル]]歌手が、自分のとあるアルバムの中の1曲を作曲した、というような場合)。逆に、100%自作曲でなくても、自作曲の割合が大きい場合には、シンガーソングライターと呼ぶことが多い。もっとも、自作曲の割合が50%以上でも、例えばシングル曲(などの代表曲)が必ず他人からの提供曲であるような場合には、シンガーソングライターと呼べるかどうかは、ケースバイケースで、微妙である。なお自作をしていても[[演歌]]の歌手をシンガーソングライターと言うことは少ない。(例えば、[[吉幾三]]など)。
 
日本においては、1930年代[[林伊佐緒]]が「[[出征兵士を送る歌]]」などを自ら作曲・歌唱したり、1950年代に、[[大橋節夫]]が自作曲を歌ってヒットし、ハワイアンブームの先駆となったことがあるが、広く歌謡曲の世界において、シンガーソングライターの草分けと言われているのが[[加山雄三]]である。デビュー当初は作曲家の提供を受けていたが、1965年6月発表の「夜空の星」以降は多くの曲を自らのペンネーム「弾厚作」名義で作曲し歌うようになり、ヒット曲も多数生んでいる。もっともこの言葉が用いられるようになったのは、アメリカでは1970年代の[[ジャクソン・ブラウン]]から、日本では[[吉田拓郎]]や[[井上陽水]]ら、テレビへの出演を拒否し[[アルバム]]作品の[[制作]]とコンサート活動に重きを置く[[歌手]]たちが、若者たちの支持を勝ち得た頃である。自ら作詞作曲した楽曲を、[[ギター]]を弾きながら歌う彼らは「フォークシンガー」とも呼ばれ、当時は「シンガーソングライター」と「フォークシンガー」とは、ほぼ同意義であった。シンガーソングライターが、フォークシンガーよりもさらに広がりのある言葉として使われるようになったのは、[[松任谷由実|荒井由実]]の登場前後、いわゆる[[ニューミュージック]]の時代に入ってからである。
 
シンガー・ソングライターという言葉は、日本のアーティストに対しても、[[1970年代]]前半から使われていることから、すでに、使われ始めて30年が経過しており、古めかしい言葉となっている。また、1970年代においては、[[ニューミュージック]]の[[アーティスト]]を、[[歌謡曲]]のアーティストから区別するという機能を負っていたという点を指摘できるが、30年以上経過した現在においては、[[J-POP]]で自作自演であることが強調されていないことから、そのような機能も果たしていない。