「パンアメリカン航空202便墜落事故」の版間の差分

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== 事故の概要 ==
[[1952年]][[4月28日]]、[[パンアメリカン航空]]202便は[[アルゼンチン]][[ブエノスアイレス]]を出発し、途中[[ウルグアイ]]の[[モンテビデオ]]ブラジル[[リオ・デ・ジャネイロ]][[トリニダードトバコ]][[ポート・オブ・スペイン]]を経由して[[アメリカ合衆国]]・[[ニューヨーク]]行きとして運航されていた。
 
202便は当時パンアメリカン航空の豪華旅客機として有名であった[[ボーイング377|ボーイング 377 ストラトクルーザー]]([[機体記号]]:N1039V)で運航されており、当日運航便であったN1039V機には「クリッパー・グッドホープ」のシップネームが付けられていた。
 
[[4月29日]]午前3時06分(以下[[世界標準時間]])にリオ・デ・ジャネイロの[[アントニオ・カルロス・ジョビン国際空港|ガレオン国際空港]]を離陸し、北北西に針路を向けて、次の経由地であったポート・オブ・スペインに10時間30分後に着陸する、有視界飛行による[[フライトプラン]]であった。午前6時16分に[[アマゾン熱帯雨林|アマゾン]]にあるバレリアス附近の位置通報地点で航空管制に対し「現在14,500フィートを巡航中、次の位置通報地点カロリナは午前7時45分に通過予定」と報告したのを最後に消息を絶った。202便を最期に目撃したのはフォルモサ(Formosa)とサンフランシスコ(Saő Francisco)という村の住民で、最期のをし告が行われた時間であった。証言によれば202便は通常の飛行をしていたという。
 
202便が消息を絶ってから、ブラジル海軍は海上を捜索するとともに、ブラジル空軍とアメリカ空軍機と海軍機による大規模な捜索が行われ、5月1日になってリオデジャネイロから北北西約1600km、[[アマゾン川]]河口にある[[ベレン]]から南に1050km離れたパラ郡南東部の[[アマゾン]]の[[熱帯雨林]]に墜落した202便の残骸を発見した。この事故で運航乗務員5名、[[客室乗務員]]4名、乗客41名の合せて50名全員の死亡が確認された。後に墜落したのは午前6時40分(現地時間午前3時40分)ごろと推定された。
 
== 事故調査 ==
202便が墜落した地点は予定された航路下であったが、現地の地形は複雑であり、附近の川も小さかったため、[[飛行艇]]による搬出も不可能であった(当時は現在ほど[[ヘリコプター]]が発達していなかったため)。またアメリカ軍による[[落下傘]]部隊投入も、生存者がいないことや地形のため、機体や遺体の搬出は難しいとして断念された。そのため、調査隊を陸路派遣することになった。
 
事故調査団が40マイル(約60km)まで飛行艇で向かい、そこから陸路で墜落現場に到着したのは[[5月16日]]であった。しかしこの調査隊は途中で7名以外は引き返した上、水や食料が欠乏し人手不足のため撤退を余儀なくされた。そのため、最初の調査団は、搭乗者全員が死亡していたこと、そして202便の残骸は、おそらく原住民によって衛生のために火をつけたと見られる火事で胴体が焼失したことを確認しただけであった。
以上の機体の状況から、202便が夜明け前の巡航中に空中分解して墜落したと推定された。まず第二エンジンのプロペラに異常振動が起こりエンジンが崩壊し、それを引き金に機体に異常振動が起こり、[[水平尾翼]]の一部が脱落し、エレベータが上向きになり仰角が増大した。そのため主翼にかかる上向きの力に左主翼が耐えきれず切断して脱落した。さらに残された機体も左主翼が消失したため機首を下げる力と尾翼からの機首を上げる力が衝突し、機体尾部が引き裂かれて空中分解して墜落した。
 
なお、この第二エンジンを崩壊させたプロペラの異常振動の原因であるが、プロペラブレードの設計ミスが原因であると推測された。それはボーイング377の塔載が、[[空冷エンジン|空冷]]四重[[星型エンジン|星型]]28気筒で、71,450cc の排気量から 3500 馬力を搾り出す[[プラット・アンド・ホイットニー]]社製 R-4360]]-B6 「ワスプ」 レシプロエン・メンであったがャー」という空冷星型28気筒で3500馬力(排気量71,450cc)最大級のレシプロエンジン最強級のエンジンでありを搭載しながら、プロペラはそれよりも馬力が低いプロペラエンジンを想定したものを多少強化した程度であり、プロペラ内部が空洞(中空)あるタイプであった。そのためエンジンが生み出す推進力に対して耐え切れなくなってずに破断しエンジン崩壊を招いたのこと直接の原因とされた。
 
しかしアメリカ連邦民間航空局(CAB)はボーイング377のレシプロエンジンに装着されていた中空式のプロペラをソリッドタイプ(中心まで詰まっている実、ムク)のプロペラに変更するよう勧告を出したのは、3年後に飛行中の再びボーイング377が同様の飛行中にプロペラ飛散させる事故こした後であった。また同時期に就航した[[DC-7]]も含め大型レシプロ旅客機はエンジンの複雑な構造を原因とするエンジントラブルが多かった。そのためパンアメリカン航空のボーイング377はその後もエンジントラブルで不時着水や墜落する事故を起こしている。
 
==関連項目==