「府兵制」の版間の差分

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北魏分裂後、鮮卑の精鋭は故地に近い[[東魏]]の方にどちらかと言えば集まり、[[西魏]]には少なかった。
 
危機感を感じ抱いた西魏の指導者[[宇文泰]]が[[534年]]の[[東魏]]との戦いに敗戦した後、兵力の不足を補うため、各地の名望ある豪族を「郷帥」に任じて、それぞれの地方において「[[郷兵]]」を結集したのが起源である。
 
「郷兵」は、漢人農民が多かったが[[五胡十六国時代]]以来、関中に移り住んだ胡族もかなり含まれていた。こうした郷兵部隊が、[[550年]]頃までに「二十四軍」に編成され、「開府」と呼ばれる司令官がそれぞれ一軍を統率する形に組織された。二人の「開府」は一人の「大将軍」に率いられ、二人の「大将軍」は、一人の「[[柱国]]」によって率いられた。
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