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[[1877年]]から[[1883年]]まで王立[[ストックホルム音楽大学]]に学んだ後、[[1884年]]に[[ベルリン]]に[[留学]]して[[エミール・ソーレ]]と[[フィリップ・シャルヴェンカ]]に師事。[[1889年]]から[[1892年]]まで王立スウェーデン歌劇場管弦楽団にて[[コンサートマスター]]に就任。その後は[[ストックホルム]]や[[イェーテボリ]]の交響楽団で指揮者を務めた。[[1887年]]にはアウリン四重奏団を結成し、[[ヴィルヘルム・ステーンハンマル]]とも[[室内楽]]の演奏で共演を重ねるなどして、この上ない名声を勝ち得るも、[[1912年]]に解散した。
 
数々の[[管弦楽]]曲や室内楽を遺しており、[[ヴァイオリン・ソナタ]]や3つの[[ヴァイオリン協奏曲]]、[[管弦楽組曲]]や[[ヴァイオリン]]のための多くの小品がある。[[ピアニスト]]の姉[[ラウラ・ヴァルボリ・アウリン]]([[1860年]] - [[1928年]])も作曲家であり、2つの[[弦楽四重奏曲]]などの作品を遺している。