「下間頼龍」の版間の差分

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某ゲーム会社系の資料ではなく、浄土真宗系の資料に記載された生没年を採用(息子・下間頼広=池田重利の生没年を考慮してもこちらの方が妥当に思われる)。
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'''下間頼竜'''(しもづまらいりゅう[[天文 (元号)|天文]]21年([[1552年]]) - [[慶長]]14年([[1609年]]))は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[大谷家|本願寺]]の僧侶。[[下間頼広]](後の[[新宮藩 (播磨国)]][[藩|藩主]][[池田重利]]の父。
 
本願寺氏の僧侶では、軍事よりも政治や文化方面に通じており、堺の商人たちとも茶会などから交流があったといわれている。本願寺が[[織田信長]]に降伏したとき、和睦条約に連署したといわれている。後に[[池田恒興]]の娘婿となる。