「ゲーム (ラッパー)」の版間の差分

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[[ベイエリア]]大物[[プロデューサー]]、JT・ザ・ビガ・フィガが2002年[[LA]]で行われたライブを見て驚き自身の[[レーベル]]、[[ゲット・ロウ・レコーズ]](Get Low Recordz)に招き入れる。[[アップ・カマー]]の紹介で[[ドクター・ドレー]]と出会い[[アフターマス・エンターテインメント|アフターマス]](Aftermath Entertainment)と契約、その頃に[[50セント]]と出会い、ドレーと50セントをエグゼクティブ・プロデューサーに迎えたデビューアルバム『[[The Documentary]]』をリリース(当初はN.W.A Vol.1と言うタイトルにするつもりだった)。
 
2006年に50セントとの確執からかアフターマスを離脱。[[ゲフィン]]に移籍。2006年11月14日、2ndアルバムの『[[Doctor's Advocate]]』をリリース。ドクター・ドレーのことに関して、「相変わらず尊敬しているし、仲が険悪になっているわけではない」と本人は語っているが、2ndアルバムにドレーのプロデュース曲は収録されていない。しかし、彼が尊敬する[[ナズ]]の『ハスラーズfeat.ザ・ゲーム&マーシャ・アンブロシアス』はドレーがプロデュースしている。
[[エミネム]]との関係は良好といわれている。[[エイコン]]の『Smack That』(feat.[[エミネム]])は彼の力で実現した。