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| Origin = [[イングランド]]、[[サリー (イングランド)|サリー]]、[[ウォキング]]
| Instrument =
| Genre = [[パンク・ロック]]<br>[[モッズ・リバイバル]]<br>[[パワー・ポップPower pop]]<br>[[ポップ・パンク]]<br>[[ニューウェイヴ (音楽)|ニュ・ウェイヴ]]
| Occupation =
| Years_active = 1972年 - 1982年<br />
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'''ザ・ジャム(The Jam)'''は、[[イギリス]]の[[ロック (音楽)|ロック]]バンド。[[ポール・ウェラー]]を中心にして[[ロンドン]]で[[1977年]]デビューし、[[1982年]]解散した。
 
メンバーは[[ポール・ウェラー]](Paul Weller / Vo,G)、[[ブルース・フォクストン]](Bruce Foxton / Vo,B)[[レック・バックラー]](Rick Buckler / Ds)の三人。[[パンク・ロック|パンク]]・ムーブメントの全盛期にデビューしながら、[[モッズ]]・スタイルを貫き、[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]方面にもアプローチをすることでオリジナリティーを獲得し、イギリス国民の間で絶大な人気を獲得した。解散した現在でもなお、イギリスでは強く支持されている。<br>
 
== 足跡 ==
[[1977年]]、イギリスを席巻していた[[パンク・ロック|パンク]]ムーブメントの真只中、[[シングル]]「[[イン・ザ・シティ]]」、ついで同タイトルの『[[イン・ザ・シティ (アルバム)|イン・ザ・シティ]]』でジャムはデビューを飾った。
 
当時18歳のフロントマン、[[ポール・ウェラー]]の、精悍ながらも少年の面影を残すルックスとはあまりに対象的な激しいコードカットとボーカル、ブルース・フォクストンのヘビーかつタイトなベース、リック・バックラーの疾走感溢れるドラムスにより生み出されるジャムサウンドは、既にライブにおいて一部の熱狂的なファンに支持されていた。
アルバムでは、ウェラーのアイドルでもある[[スモール・フェイセズ]]の[[スティーヴ・マリオット]]の影響も窺えるも、全体にはパンキッシュなライブ感そのままのサウンドを聴かせた。その最初期のサウンドにはザ・フーやモータウンの以外にも先輩格にあたるTHE BOYSやDr.FEELGOODからの影響が伺える。
[[パンク]]/[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイ]]の追い風もあり人気を獲得した彼らは、その勢いに乗って2作目『ザ・モダン・ワールド』を発表するものの、まとまりに欠ける散漫な曲ばかりで酷評された。実際ポールウェラー自身も「あのアルバムはリリース以来一度も聞いていない」とインタビューで語っている。
 
しかし、翌[[1978年]]にリリースされた3作目『[[オール・モッド・コンズ]]』は、[[ザ・フー]]、[[スモール・フェイセズ]]や[[モータウン]]サウンドの影響を受けた[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]が取り入れられたサウンドを創り出し、[[モッズ]]としてのアイデンティティー、独自性を前面に打ち出した傑作となった。特にウェラーのソングライティングが進境を見せ、アコースティックギターによる「イングリッシュ・ローズ」や夜の都会の風景を描く「チューブ・ステーション」等、これまでのストレートなイメージとは一線を画す楽曲を作り出している。モッズ・リヴァイヴァルの立役者ともなった『オール・モッド・コンズ』はファン、ジャーナリズムに高く支持されバンドの最初のピークとなり、これを機にジャムの快進撃が始まる。
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ヒット曲「イートン・ライフルズ(The Eton Rifles)」を含む[[1979年]]発表の4thアルバム『セッティング・サンズ(Setting Sons)』では、「電話のあの娘(Girl on the Phone)」などのストレートなジャムサウンドに加え、ヘビーな展開を見せる「プライベート・ヘル(Private Hell)」や曲調の変化に富んだ「少年の兵士(Little Boy Soldier)」、ウェラーのロマンチストとしての一面を覗かせる「不毛の荒野(Wasteland)」など充実した楽曲が多く、3rdアルバムと並ぶ傑作とファンの呼び声も高い。同年の英音楽誌 New Musical Express でのリーダーズポールでは、ベストバンド、ベストアルバム(『セッティング・サンズ』)、各プレイヤー等の主要部門を独占、英国での人気が絶大なものであることを世に知らしめた。以降、解散までベストバンドの座は譲らなかった(NME誌)。
 
[[1980年]]にはシングル「ゴーイング・アンダーグラウンド(Going Underground)」を発表。元々はカップリングの「ドリームズ・オブ・チルドレン(Dreams of Children)」と両A面の予定だったが、レコードプレスの間違いで「ゴーイング~」がA面扱いとなったこのシングルは英国で初登場 No.1 を獲得。後のライブアルバム『ディグ・ザ・ニュー・ブリード(Dig the New Breed)』でも素晴らしい演奏を聞かせる両曲は、今もジャムの楽曲中で人気が高い。この年には待望の初来日公演を果たしている(来日は翌[[1981年]]、[[1982年]]の計3回)。同年発表された5thアルバム『サウンド・アフェクツ(Sound Affects)』では先の「ドリームズ〜」でもその予兆が見られたサイケデリックな要素等、さまざまな音楽を取り入れた実験性、重厚な音作りを見せる。シングルカットされた「スタート!(Start!)」は[[ビートルズ]]の「[[タックスマン]](Taxman)」を連想させるベースラインで『[[リボルバー (アルバム)|リボルバー]]』的なアルバムとも例えられる。また、収録された「ザッツ・エンターテイメント(That's Entertainment)」はファンの人気も高く、ウェラー自身も後のソロキャリアでも取り上げる程の代表曲の一つとなった。余談だが、[[ザ・スミス]]解散後の[[モリッシー]]も、この曲をカバーしている。
[[1980年]]にはシングル「ゴーイング・アンダーグラウンド(Going Underground)」を発表。元々はカップリングの「ドリームズ・オブ・チルドレン(Dreams of Children)」と両A面の予定だったが、レコードプレスの間違いで「ゴーイング~
」がA面扱いとなったこのシングルは英国で初登場 No.1 を獲得。後のライブアルバム『ディグ・ザ・ニュー・ブリード(Dig the New Breed)』でも素晴らしい演奏を聞かせる両曲は、今もジャムの楽曲中で人気が高い。この年には待望の初来日公演を果たしている(来日は翌[[1981年]]、[[1982年]]の計3回)。同年発表された5thアルバム『サウンド・アフェクツ(Sound Affects)』では先の「ドリームズ〜」でもその予兆が見られたサイケデリックな要素等、さまざまな音楽を取り入れた実験性、重厚な音作りを見せる。シングルカットされた「スタート!(Start!)」は[[ビートルズ]]の「タックスマン(Taxman)」を連想させるベースラインで『[[リボルバー (アルバム)|リボルバー]]』的なアルバムとも例えられる。また、収録された「ザッツ・エンターテイメント(That's Entertainment)」はファンの人気も高く、ウェラー自身も後のソロキャリアでも取り上げる程の代表曲の一つとなった。余談だが、[[ザ・スミス]]解散後の[[モリッシー]]も、この曲をカバーしている。
 
[[1982年]]、結果的にスタジオ盤ではラストとなる『ギフト(The Gift)』を発表。ホーンセクションの導入、ファンク、カリプソ等の要素を取り入れ音楽性の振幅はさらに広くなり、モータウン調の「悪意という名の町(A Town Called Malice)」はシングルカットされ No.1 となる。また、このアルバムではフォクストンの活躍が目覚しく、ファンクに傾倒したグルーヴィーなベースを聴かせるほか、自らも「サーカス(Circus)」というファンキーなインストゥルメンタル曲を提供しアルバムの方向性を特徴付ける貢献をしている。こと、バンドの音楽的なピークとしてこのアルバムをベストにあげるファンも多い。また、このアルバムでのブラックミュージック寄りの音作りは後の[[スタイル・カウンシル]]への先鞭ともなる。
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解散後、ウェラーは元[[マートン・パーカス]]の[[ミック・タルボット]](Mick Talbot / Key)と新ユニット「[[スタイル・カウンシル]](The Style Council)」を結成。そしてブルース・フォクストンは、元[[ビッグ・カントリー]]のマーク・ブレゼジッキーと元[[ザ・フー]]の[[ピート・タウンゼント]]の弟、[[サイモン・タウンゼント]]とで[[カスバ・クラブ]]を結成。新たな道を歩むことになった。
 
ジャムはよく[[パンク・ロック]]に分類される事が多く、当時ウェラーも「[[セックスピストルズ]]にインスパイアされた」と語りデビュー当時の作風にはパンクの影響が色濃かった。が、ウェラー自身はもともと[[スティーヴ・マリオット]]や[[ザ・フー]]、更に[[モータウン]]や[[スタックス・レコード|スタックス]]といったR&Bの大ファンであり、ファッションにしても細身のスーツ+ネクタイからカラフルなシャツ、スカーフといったパンクとは異なるものをウェラーは当時から(スタカンの前から)スタイリッシュに着こなしていた。そういう意味では[[モッズ]]というべきで、モッズを意識した作品を作り続けたことからモッズフリークからは「モッド・ファーザー」とも呼ばれている。
一方で、ワーキングクラス出身のリアリティを見せるシリアスな歌詞と時々織り込まれるユーモア、インタビューでの政治的な発言とその裏腹のピュアネス、何よりそのソリッド&ハードなジャムサウンドから、やはり彼らは[[パンク]]/[[ニューウェイヴ (音楽)|ニュ・ウェイヴ]]の中心的存在であり、そうしたムーブメント、カテゴリを飛び越え、当時のイギリスの普通の若者達から絶大な支持を受けた特異な存在であった。
の中心的存在であり、そうしたムーブメント、カテゴリを飛び越え、当時のイギリスの普通の若者達から絶大な支持を受けた特異な存在であった。
 
ちなみに[[2007年]]、デビュー30周年を機に、ポール・ウェラー抜きで「From The Jam」名義で再結成ツアーを行っている。