「島津重豪」の版間の差分

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また大変という表現すら不足なほどの恐るべき酒豪であり、酒の相手をするのも一苦労であるため、諸家では重豪がやってくるのを(酒の相手をしなくてはならないのを)嫌ったとされる。この重豪を唯一飲み負かすことができたのが[[牧野千佐]]であり、彼女は後に重豪の側室となって[[黒田長溥]]を生んでいる。重豪69歳の時の話である。戦国の[[毛利元就]]とも並ぶ絶倫ぶりと言えよう。
 
 
 また[[正徳]]年間以降、[[薩摩藩]]では将軍家の当主と正室や子女の諱及び藩主とその正室や子女の実名および名のりを避けるように藩法で規定していたことが、「薩藩政要録」や「三州御治世要覧」から分かる。島津重豪及び当時の将軍徳川家斉が子沢山であったため、実名として使用禁止の字や名のりが急増する。
== 関連書籍 ==
*芳即正『島津重豪(人物叢書 新装版)』吉川弘文館 ISBN 4642051376