「ヘクター・カラスコ」の版間の差分
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ただし4月末に2軍落ちして、5月に再び上がった後は中継ぎとしてなかなかのピッチングをしていた。7月などは20イニングで自責点はわずか1であり、(冗談半分とは言え)月間MVPの声が野球ファンの間で上がりさえもした。8月以降はやや失速する。登板数と投球回からもわかるように主にロングリリーフとして起用されていた。
また2004年6月に始まった近鉄球団合併問題では、チームメイトにメジャーリーグ時代の[[ストライキ]]の経験を生かし、ストライキについてのアドバイスをし、プロ野球選手会所属ではないにも関わらず、球団合併反対の署名活動に他の近鉄選手と共に参加した(この署名活動は選手会が主導してのものだったので、通常は外国人選手は参加していない)
近鉄を1年で解雇された後、[[2005年]]は[[ワシントン・ナショナルズ]]に所属。当初はマイナー契約で、その後メジャー昇格。昇格後も最初は敗戦処理が主だったが、長いイニングの中継ぎでの好投を続けることで次第に信頼を得て[[セットアッパー]]の役を受け、さらに先発投手に怪我人が続出したため、シーズン終盤は先発に転向して活躍した。この年は56試合に登板、5勝4敗、[[防御率]]2.04というキャリアハイの成績を残す。
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