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[[1968年]][[モスクワ国際関係大学]]を卒業し、[[ロシア外務省|ソ連外務省]]に入省する。同年から[[1971年]]まで駐日ソ連大使館に勤務する。1971年帰国し母校であるモスクワ関係大学[[教授]]に就任。同大学では[[日本史]]および日本の外交政策に関する講義を担当した。[[1977年]][[国際連合|国連]]代表部、[[1982年]]ソ連外務省第二極東局勤務を経て、[[1983年]]駐日ロシア大使館[[参事官]]として再び日本に着任する。
 
[[1988年]]ソ連外務省太平洋・東南アジア副局長、同局長、ロシア外務省に移りアジア太平洋局長を歴任する。[[1992年]]駐在[[韓国]]ロシア大使。[[1994年]]ロシア外務[[次官]]を経て、[[1996年]][[7月30日]][[ウラジーミドヴィク・チジョフ]]駐日大使の後任として駐日大使に決定し、[[9月7日]]任命される。10月来日。これに先立ち1996年1月「日本の外交と日ソ、日露関係の推移」で政治学博士号を取得している。知日派外交官として知られ、著書に『日本の外交活動』、『不信から信頼へ』、『ロシア大使が写した日本の日常』、『雷のち晴れ』など著書も多数。ロシア国内では[[ワイン]]専門書を執筆し、[[ベストセラー]]となった。
 
2003年12月駐日大使の任を解かれ、[[2004年]]4月から駐[[ノルウェー]]大使。