「ジョン・フルシアンテ」の版間の差分

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==概説==
若干18才にして[[レッド・ホット・チリ・ペッパーズ]]のメンバーとなる(実質的に、レッド・ホット・チリ・ペッパーズがジョンにとって生まれてはじめてのバンド活動である)。その後、一時的にバンドを脱退した(1999年復帰)。[[ローリング・ストーン]]誌の2003年8月号のカバーストーリー、「[[ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト]]」に於いて当時33歳ながらも第18位。また、2004年6月から2005年2月までの、「1年間にソロアルバム6作品リリース」、2006年に発表した[[ステイディアム・アーケイディアム]]でのイントロ[[リフ]]や、ほぼ全曲に及ぶ質の高いギターソロにより世界的な音楽雑誌では「[[三大ギタリスト]]に匹敵する」と評価され、「白いジミ・ヘン(白人の[[ジミ・ヘンドリックス]])」と称されるようになった。[[ローリング・ストーン]]誌の2007年2月号(7日発売)では[[ジョン・メイヤー]]、[[デレク・トラックス]]と共に「[[現代の三大ギタリスト]]」(The New Guitar Gods)に選出された
また、2004年6月から2005年2月までの、「1年間にソロアルバム6作品リリース」、2006年に発表した[[ステイディアム・アーケイディアム]]でのイントロ[[リフ]]や、ほぼ全曲に及ぶ質の高いギターソロにより世界的な音楽雑誌では「[[三大ギタリスト]]に匹敵する」と評価され、「白いジミ・ヘン(白人の[[ジミ・ヘンドリックス]])」と称されるようになった。
[[ローリング・ストーン]]誌の2007年2月号(7日発売)では[[ジョン・メイヤー]]、[[デレク・トラックス]]と共に「[[現代の三大ギタリスト]]」(The New Guitar Gods)に選出された。
 
薬物中毒から復帰後の独特のギターサウンドは「枯れたギター」と表現される。
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==人物==
非常に[[アーティスト]]気質の持ち主で、興味の無い話題にはそっけない応答だが、ギターや音楽、芸術関係の話題になると饒舌になることで有名。アルバムのエディターレヴューにあるように、長髪を次の日には丸坊主にしたりと突発的な行動が目立つ。絵を描いているなど音楽だけでなく芸術全般に関心があり、これは初代ギタリストの
[[ヒレル・スロヴァク]]との共通点である。フリーは「ジョンの音楽への意欲は尽きることが無い」とベスト盤のメンバーズレヴューで賞賛しており、同アルバムのレヴューで、CDを買うお金の無い小さい頃はラジオで流れる曲をテープで録音して聞いていたことも書かれている。数え切れないほどのCD、無数の[[LP盤]]を所持しているだけでなく自宅にはレコーディング機器もあり、ソロ作品はその機器で録音された。「1年間にソロアルバム6作品リリース」など異常ともとれるその創造性は他のミュージシャンと一線を画す。[[バイセクシャル]]と採れる発言もいくつか残しているが、真意は定かではない。
 
== プレイスタイル ==
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ドラッグ中毒に陥り2年以上ギターを弾いていなかったブランクからか、以前のようなテクニカルなプレイは鳴りを潜める。かわりに、クリーム時代の[[エリック・クラプトン]]など、いわゆる泣き系のクラシックな[[ロック]][[ギタリスト]]の影響が色濃いながらも独特の演奏を聞かせるようになった。また、[[Rolling Stone]]誌などではその独特のサウンドは「枯れたギター」と表現された。
;現在([[バイ・ザ・ウェイ]]以降)
近年ではエフェクティブなサウンドも駆使し、さらにプレイに幅が出た(バイ・ザ・ウェイツアー以降、エフェクターボードの[[エフェクター]]の数は3倍以上に膨れあがっている。これは[[モーグ・シンセサイザー]]社製のギター用シンセエフェクターの導入が大きい)。復帰以降のチリ・ペッパーズの作品でもその影響は顕著だが、それら実験的ギターサウンドの多くはソロアルバムの楽曲で用いられる事が多い。テクニック的にも、以前のような技巧プレイの復活が見られる。ジョンのギターソロが新作[[ステイディアム・アーケイディアム]]のほぼ全ての楽曲に織り込まれているが、「[[3大ギタリスト|現代の三大ギタリスト]]」(The New Guitar Gods)として[[Rolling Stone]]誌に選出された際、「ダニー・カリフォルニア - Dani California」と「メイク・ユー・フィール・ベター - Make You Feel Better」のソロは譜面に起こしてレコーディングに臨んだが、他の曲のソロは即興演奏であることを明かした。
 
== 略歴 ==
フルシアンテは[[ニューヨーク]]の[[クイーンズ]]で生まれたが、12歳のときに[[カリフォルニア州]]に引っ越している。彼の父ジョンSr.、母ゲイルともにミュージシャンであった(ゲイルは[[レッド・ホット・チリ・ペッパーズ]]の曲“アンダー・ザ・ブリッジ”でその声を披露している
 
フルシアンテは15歳でレッド・ホット・チリ・ペッパーズのライブに魅了され、[[ギター]]・[[ベース]]・歌詞をすべて暗記するほどのめりこんでいった。レッチリのオリジナルメンバーのギタリスト、[[ヒレル・スロヴァク]]の死後、代役ギタリストも早々にバンドを去り、89年12月にフルシアンテが加入する。加入後参加作品は、[[母乳 (アルバム)|母乳]][[ブラッド・シュガー・セックス・マジック]][[ホワッツ・ヒッツ!?]](キャピトル時代のベストアルバム)。1992年の日本来日公演中の脱退、一時期ドラッグ中毒に陥っていたが、1999年の再加入を経て[[カリフォルニケイション]][[バイ・ザ・ウェイ]]グレイティスト・ヒッツ(ワーナー音源のベストアルバム)、[[ライブ・イン・ハイド・パーク]](2004年6月19・20・25日にロンドンにあるハイド・パークで行われたライブの音源化)、[[ステイディアム・アーケイディアム]]で演奏している。
 
== 使用するギター ==
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ジョンのソロ活動は脱退後の1994年に発表された「Niandra〜」が始めとなる。ただし、その[[レコーディング]]自体はレッチリ在籍の最後の一年になされている。このアルバムは、「Niandra LaDes」と「Usually Just A T-shirt」を1つにまとめたものである。4トラックのレコーダーで録音されているためアナログな雰囲気になっている。かき鳴らされる[[アコースティックギター]]、金切り声・大絶叫・絞り出すような声の[[ボーカル]]は凄まじく、狂気すら感じられる。しかし、音楽的に劣っているというわけではなく、魅力的な[[メロディー]]がしっかりあり、脱退前・再加入後のライブで演奏される(た)こともある。
 
次作「Smile〜」は前作のアウトテイクを基礎として製作される。このアルバムについて以前までフルシアンテは「ドラッグを買う金がほしくて作った」や、「発表したことを後悔している」などとコメントしている。これらの作品は、フルシアンテが[[ヘロイン]]にのめり込んでいた、いわゆる暗黒時代のものである。「Smile〜」は絶版になっていたが、近年再販が始まった。ジョン自身も作品をインタビューで再評価している。