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'''育徳帝'''(いくとくてい、{{lang|vn|Dục Đức}}、ズクドゥク、[[1852年]] - [[1883年]])は[[ベトナム]][[阮朝]]の第5代皇帝。諱は'''(福)膺禛'''({{lang|vi|(Phúc )Ưng Chân}})。[[嗣徳帝]]の弟である瑞太公[[阮福洪依]]({{lang|vi|Nguyễn Phúc Hồng Y}})の子。在位[[1883年]]。
 
嗣徳帝には子がなく、3人の甥を養子にしていたが、遺詔で最年長の育徳帝を後継者に指名した。しかしその文中に否定的な評価があったため、遺詔を朗読するとき、育徳帝はその部分を削除することを求めた。嗣徳帝の本来の意は最も幼いが聡明な[[建福帝]]にあったとされ、[[阮文祥]]、[[尊室説]]などの権臣もそれを望んでいたため、遺詔をないがしろにしたこと、儀式に臨んで喪服でない緑の服を着用したことなどを理由に、わずか3日後の[[10月20日 (旧暦)|10月20日]]、慈裕太皇太后(嗣徳帝の母)の命で後継者の地位を剥奪され、絶食させられて餓死した(即位礼は行っていない)。阮朝の皇帝は元号で呼ばれるが、元号も定められなかったため、生前起居していた宮中の育徳堂にちなんで'''育徳帝'''と称されている。のちに子の[[成泰帝]]が立つと、'''恭宗(恭皇とも)恵皇帝'''の[[廟号]]・[[諡|諡号]]が追贈された。
 
{{先代次代|[[ベトナム帝王一覧|阮朝皇帝]]|第5代 : 1883年|[[嗣徳帝]]|[[協和帝]]}}