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1959年当時、経営不振に陥っていた自動車会社BMWではダイムラー・ベンツへの身売りが計画されていた。当時のBMWはドイツで最も弱小な自動車会社のひとつでしかなく、両社の大株主であるヘルベルトも吸収合併の計画には賛成であった。しかしながら労働者と[[労働組合]]からの反対は強固であり、計画は実行直前に断念、代わりにヘルベルトがBMW株を50%まで買い増すこととなった。倒産寸前である同社株の買い増しは危険な投資であったが、ダイムラー・ベンツによる吸収を免れた同社の経営は1962年に発売された小型セダン[[ノイエクラッセ|BMW 1500]]の成功により改善した。
異母兄弟であったハラルトが1967年[[航空
===私生活===
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