「チャバ (装甲車)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
en:38M Csaba(11:02, 25 June 2008)より翻訳
 
型式名誤記訂正、記述若干追加
26行目:
 
== 開発と生産 ==
ハンガリーからの移民であるニコラス・ストラウスラー(ハンガリー名シュトラウスレル・ミクローシュ)は、戦間期、イギリスで数種の装甲車を設計した。その後ストラウラーは、母国ハンガリー軍用の装甲車を彼の設計に基づき製作することを、チェペル/[[ブダペスト]]のヴァイス・マンフレート社との間で合意した。うち、量産に移されたチャバは、ストラウスラー設計のアルヴィスAC2装甲車の発展型で、その名は[[フン族]]の王[[アッティラ]]の息子にちなむ。
 
[[1939年]]、順調に試験が終了した後、ハンガリー陸軍は「'''39Mチャバ偵察装甲車'''(''39M Csaba felderítő páncélgépkocsi'')」の制式名称で61両を発注、さらに[[1940年]]に40両を追加発注した(32両とする資料もある)。2次発注のうち20両は通常型で、残りは無線指揮車として製作された。
 
通常型の'''38M39Mチャバ'''は車体中央の砲塔にゾロトゥルン20mm対戦車ライフルと8mm機関銃を搭載していた。車内にもう1丁の 8 mm軽機関銃を搭載しており、後部ハッチを通して対空射撃が可能だった。この機銃は、乗員が降車して偵察任務を行う際の携行用でもあった。また、チャバは通常の前部操縦席のほか、後進用の後部操縦席も備えていた。
 
無線指揮車の'''40Mチャバ'''は、8mm機銃 1 丁のみ装備の小型砲塔付きで、通常型のR-4無線機に加え、R-4T無線機を搭載、大型のフレームアンテナを備えていた。
36行目:
== 参考資料 ==
* Bonhard Attila, Sárhidai Gyula, Winkler László: ''A Magyar Királyi Honvédség Fegyverzete,'' Zrínyi Katonai Kiadó, Budapest, 1992., ISBN 963 327 182 7
* Csaba Becze, ''Magyar Steel'', STRATUS, 2006
 
== 関連項目 ==