「扇ヶ谷」の版間の差分

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もともと現在の[[寿福寺]]のある付近は[[源頼義]]以降、源家が鎌倉に持った屋敷の跡であり、源義朝や源義平もこの地に住んだという。また、こうしたことから記録によれば扇ヶ谷には鎌倉幕府の要人たちが多く住んだ。このため地域内には寺社や旧跡が多い。
*'''泉の井''' 泉ヶ谷の奥にある。鎌倉十井の一つ。この井戸のある谷戸は泉ヶ谷の名前があり、浄光明寺がある。谷戸の先より山中の古道は[[八幡宮|鶴岡八幡宮]]裏の青梅聖天堂の山道につながる。
*'''岩船地蔵堂''' 源頼朝の長女[[大姫 (源頼朝の娘)|大姫]]を弔う地蔵尊が祀られている。なお、頼朝の次女三幡姫も「亀谷」の地に葬られているという。亀ヶ谷坂から扇ヶ谷に下りてきて海蔵寺へ向かう道との合流点に位置し、近くの横須賀線のアンダーパスは「岩船ガード」の名前がある。
*'''英勝寺''' 浄土宗。扇谷上杉家の家臣[[太田道灌]]の屋敷跡。現在では鎌倉唯一の尼寺。
*'''海蔵寺''' 臨済宗。寺門前には鎌倉十井の一つ「底抜けの井」、山内に「十六の井」がある。