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[[Image:Beinecke Library interior 2.JPG|thumb|ベイニッケ図書館内部]]
[[Image:Hirshhorn Museum.jpg|thumb|ハーシュホーン博物館と彫刻の庭]]
'''ゴードン・バンシャフト'''('''Gordon Bunshaft'''、[[1909年]][[5月9日]] – [[1990年]][[8月6日]])は20世紀の[[アメリカ合衆国|アメリカ]]を代表する[[建築家]]の一人。アメリカの大手[[建築設計事務所]]、[[スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリル]](SOM)の一員として超高層ビルなど優れた建物を数多く手がけた。[[プリツカー賞]]も受賞している。
 
== 生涯 ==
[[マサチューセッツ工科大学]]を[[1933年]]に卒業、[[1935年]]に修了し、[[1937年]]まで[[ヨーロッパ]]へ研修旅行に出かけた。最初は[[ニューヨーク近代美術館]]建設などを手がけた[[モダニズム建築|モダニズム]]建築家、[[エドワード・ダレル・ストーン]]([[:en:Edward Durell Stone|Edward Durell Stone]])のもとで働いた。次いで流線型機関車や企業ロゴデザインなどを手がけていた[[インダストリアルデザイナー]]、[[レイモンド・ローウィ]]([[:en:Raymond Loewy|Raymond Loewy]])のもとで働いたが、彼の仕事をあまり信用できないものだと考えたバンシャフトは3ヶ月で彼の元を去り、[[1936年]]に[[シカゴ]]で創業したばかりの若い[[建築設計事務所]]、[[スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリル]](SOM)の[[ニューヨーク]][[事務所]]に入り、そのパートナーとなった。[[第二次世界大戦]]中は陸軍工兵隊に徴兵され、戦後SOMに復帰した。
 
バンシャフトは若い頃に[[ミース・ファン・デル・ローエ]]や[[ル・コルビュジエ]]などから影響を受けた[[モダニズム建築|モダニスト]]であった。彼の最も著名な作品は、[[1951年]] - [[1952年]]にニューヨークに作られた[[超高層ビル]]、「'''[[レバーハウス]]'''」(レヴァーハウス、リーヴァーハウス、[[:en:Lever House|Lever House]])である。石鹸などを扱う化学会社、リーバ・ブラザーズ社([[:en:Lever Brothers|Lever Brothers]]、[[ユニリーバ]]の米国子会社)の本社として建てられたこの箱型のビルは、ニューヨーク最初のガラス・[[カーテンウォール]]工法のビルでもあった。また、[[1953年]]に[[ニューハンプシャー州]][[ハノーバー (ニューハンプシャー州)|ハノーバー]]に建設された「マニュファクチャラーズ・ハノーバー・トラスト・ブランチ・バンク(Manufacturers Hanover Trust Branch Bank)は、東海岸に戦後初めて建設された透明な銀行ビルで、モダニズム建築の宝石と呼べるものである。
 
その他、SOMの建築家として、彼はニューヨークの[[ウォール街]]に建てられた[[チェース・マンハッタン銀行]]ビル([[1961年]]。レバー・ハウス同様のガラスの直方体の超高層ビルで、[[イサム・ノグチ]]の中庭で知られる)、[[イェール大学]]のベイニッケ貴重書図書館([[1963年]]、Beinecke Rare Book Library)、[[テキサス州]][[オースティン]]のリンドン・B・ジョンソン記念図書館・博物館([[1971年]])、[[サウジアラビア]]・[[ジッダ]]の国立商業銀行ビル([[1981年]] - [[1983年]])および[[キング・アブドゥルアズィーズ国際空港]]の[[ハッジ]]・ターミナル([[1972年]]、巡礼者を捌くためのターミナルビル)などがある。