「花山院忠長」の版間の差分

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'''花山院忠長'''(かざんいん ただなが、[[天正]]16年([[1588年]])-[[寛文]]2年([[1662年]]))は、[[江戸時代]]の[[朝臣]]。父は[[左大臣]][[花山院定凞]]。弟に花山院家を継いだ[[花山院定好]](左大臣)がいる。子に[[野宮定逸]]や黒衣の宰相と称された[[天海]]の弟子[[公海 (僧)|公海]]ががいる。[[戒名|法名]]は'''浄屋'''。
 
[[慶長]]14年([[1609年]])、[[後陽成天皇]]の女官と密通した罪により、[[蝦夷地]]へと配流される([[猪熊事件]])。配所では[[松前藩]]の厚遇を得て、松前に京文化が伝える契機を作ったとされる。[[寛永]]13年([[1636年]])に赦免され[[出家]]、降って[[慶安]]5年([[1652年]])に帰洛した。