「天童藩」の版間の差分

なお、織田氏の諸藩では、[[織田信雄]]の系統は天童藩の他に[[丹波柏原藩|柏原藩]]が、[[織田長益]](有楽斎)の系統は[[柳本藩]]、[[芝村藩]](戒重藩)が、[[明治維新]]まで存続した。有楽斎の系統は他に[[味舌藩]]、[[野村藩]]が存在したが、これらは江戸時代初期に除封、無嗣断絶している。
 
天童藩江戸留守居役であった[[吉田専左衛門]]は[[歌川広重]]と親交があったため、広重の肉筆画が「天童広重」として現在の村山郡内にも現存されている。また、織田氏の神とも言ってよい存在であった[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の大名・織田信長は、新政府の計らいにより神号を下賜され、明治3年([[1870年]])4月、舞鶴山上に[[建勲神社 (天童市)|建勲神社]]が建立されることとなった。
 
== 歴代藩主 ==
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