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'''デストルドー'''({{Lang-en|Destrudo}}または{{Lang-en|Death drive}}、{{Lang-de|Todestrieb}})とは、[[フロイト]]の提唱した[[精神分析学]]用語で[[死]]へ向かおうとする欲動のこと。'''タナトス'''もほぼ同義で死の神である[[タナトス]]の神話に由来する。
 
== 語の混乱問題 ==
フロイトはTodestriebと対のようにLebenstriebという語を用いたが、日本語ではともに「死の本能」「生の本能([[エロス]])」と訳されることが多い。しかしながら[[本能]]には「遺伝的」という意味合いが強くTriebをそのように訳すのは誤解を招きかねない表現である。事実彼は本能Instinktと別に、[[自我]]に対して何かに駆りたてさせる衝動という意味でTriebを使ったとされる。英仏訳でも誤りが指摘され、日本語訳もそれに準拠したためと見られるが英仏訳ではすでに訂正が施されている。
 
== 概説 ==
フロイトが最初に「死の欲動」という語を用いたのは[[1920年]]に著した『快楽原則の彼岸』である。彼は第一次大戦帰還兵の心的外傷における[[フラッシュバック (心理現象)|フラッシュバック現象]]、少女の「いる・いない」遊び観察で見られた不快なはずの母の不在の反復などから、従来の快感原則から説明できない心理を見出した
 
以下、『死の欲動―臨床人間学ノート』112~114項から、フロイトにおける「死の欲動」の要約を抜き出す。
;自我が抵抗しがたい衝動である。: 衝動の存在に通常自我は気付きにくく、無言の内に支配される。快楽原則に従わず反復そのものを目的とし、エネルギーが尽きるまで繰り返される。それは強大なエネルギーで日常的なものではなく、自我はその前に無力である<ref>フロイトはそこに大戦の根源的衝動を見た。</ref>。
;最も蒼古的(原初的)な欲動である。: 死の欲動は個体発生上、最も古い欲動とされた。退行の究極点であり生命発生以前の原初への回帰を目的とする。それは生死や存在非存在の区別もなく明示的言語で表現するのは困難なので「死」というメタファーでフロイトは命名した。ただし人間の「死」のイメージとは関係なく非生命に向かうという意味でしかない。欲動はこの地点から巨大な破壊エネルギーを手に入れる。
;「悪魔的」な生命の破壊衝動である。: 自己と他者の区別無く反復強迫的に無意味に生命破壊を目指す<ref>この箇所「~と考えるべきであろう」の記述。フロイト自身は「一時的マゾヒズム」といった観念を引きずり、理論を完成させずに死去したため、矛盾がなくなるよう敷衍していると思われる。</ref>。また「生の欲動」に先立つ。フロイトは死の欲動をエロスによって容易に懐柔されることはないと考えた。憎しみのような攻撃的衝動はエロスの一属性としても理解し得るが、愛と憎しみを超えたところに破壊衝動を想定した。
 
== 後世への影響 ==
フロイトに先立ち既に[[ニーチェ]]が「神の死」を言明し、当時楽観主義は知識人の間でほぼ消滅していた。フロイトの思考の変遷も悲観的な世界情勢と無縁ではなかったろう。事実彼は第二次世界大戦の戦禍を見ずに亡くなったが、その後[[ヒロシマ]]・[[ナガサキ]]への[[核爆弾]]の投下、[[ホロコースト]]が起こり現在では人類を複数回滅ぼせるほどの[[大量破壊兵器]]を持つに至っている。学者達の中でも「死の欲動」論を無碍に否定しがたいのは、このような人間の暗黒面が存在するのを認めざるを得ない事情があるためである。
 
== 脚注 ==
<references />
 
== 参考文献 ==
熊倉伸宏『死の欲動―臨床人間学ノート』新興医学出版社、2000年 ISBN 4880024236
 
 
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