削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
編集の要約なし
34行目:
 
[[千葉県立安房高等学校]]時代の夏、TOSHIとその他同級生で[[X JAPAN|X]](後の[[X JAPAN]])を結成、TOSHIと共に当時あった青山レコーディングスクール入学のため上京する。一部のメンバーは卒業と同時にバンドを辞め大学に進学した。その後の活動は、[[X JAPAN]]の項を参照。
 
'''[[1986年]]'''
* Xのレコードを出す為に[[EXTASY RECORDS]]を設立。
'''[[1991年]]'''
* [[小室哲哉]]とのユニット[[V2 (ユニット)|V2]]を結成。
49 ⟶ 46行目:
'''[[2000年]]'''
* [[セブンイレブン・ジャパン]]企業イメージCMトータルプロデュースし、出演。楽曲はVIOLET UKを使用。
* [[メディアファクトリー]]と組んで[[EXTASY RECORDS|EXTASY JAPAN]]設立。
* [[アメリカ合衆国|アメリカ]]に所有していた[[EXTASY RECORDS|EXTASY RECORDS INTERNATIONAL]](EXTASY INT'L)が米ワーナーとディストリビューション契約、レーベルとして始動。
'''[[2002年]]'''
* [[2月22日]]~[[2月27日]] X JAPANフィルムギグとVIOLET UKのプロモーションで[[大韓民国|韓国]]・[[ソウル特別市|ソウル]]を初訪問。
56 ⟶ 51行目:
* [[3月24日]] 渋谷と恵比寿にて、握手会開催。<ref>[http://www.famitsu.com/entertainment/news/2002/03/27/n03.html なんと! YOSHIKIが初握手会を緊急開催します!! - ファミ通.comエンターテイメント]</ref>
* 携帯電話向けコンテンツ「[[YOSHIKI mobile]]」スタート。
* [[コロムビアミュージックエンタテインメント]]とソロ契約。
* [[2002年]][[9月1日]] [[globe]]に電撃加入しているが、globeでの活動はマキシシングル「seize the light」のリリースのみである。
:※YOSHIKIのglobeにおけるスタンスについて、[[2005年]][[8月8日]]に行われた「[[globe2 pop/rock]]」リリースパーティーの席上、YOSHIKIを加えた活動時にはユニット名が「[[globe extreme]]」になる発表されている
* [[パルコ]]のクリスマスキャンペーンCMに出演。
* [[12月3日]] [[東京国際フォーラム]]にて「YOSHIKIシンフォニックコンサート2002 featuring VIOLET UK」開催。
64 ⟶ 59行目:
* [[avex]]傘下の[[エイベックス・エンタテインメント|axev]]とマネジメント契約。
* [[宝塚歌劇]][[花組]]公演「[[TAKARAZUKA舞夢!]]」で使われた「世界の終りの夜に」を作曲。
* 「YOSHIKIカレー『キレ辛』」を通信販売(現在は販売終了)。かつてYOSHIKIが辛いカレーを食せられてリハーサルをボイコットした事件が元ネタとなっていた。
* [[12月1日]] 東京国際フォーラムで開かれた[[大韓民国|韓国]]映画「[[僕の彼女を紹介します]]」プレミア試写会で2年半ぶりにピアノを生演奏。<ref>[http://cinematoday.jp/page/N0005735 YOSHIKIも“猟奇的な彼女”にメロメロ - シネマトゥデイ]</ref>
'''[[2005年]]'''
71 ⟶ 66行目:
'''[[2006年]]'''
* [[4月10日]]、長編アニメーション映画「[[ベルサイユのばら]]」の音楽を担当することを発表。
* [[4月19日]]-[[4月21日|21日]]、ニューヨークの友人から「楽曲を聴きたい」と言われたことから、音楽配信サイト「[[MySpace]]」で音楽を配信。 口コミだけでダウンロード数が約20万件にも達し、うち日本からのアクセスはわずか1割足らずという。
* [[5月29日]]、来日した[[マイケル・ジャクソン]]が[[青山]]の高級仏料理店で開催したプライベートパーティーに参加。
* 8月、親交が深いミュージシャンの[[Gackt]]、[[SUGIZO]]、[[雅-miyavi-]]と[[S.K.I.N.]]を結成。
83 ⟶ 77行目:
== 設立レーベル ==
'''[[EXTASY RECORDS]]'''
:[[1986年]]にXのレコードを出す為に設立。後に[[LUNA SEA]]や[[GLAY]]、[[ZI:KILL]]を輩出する一大インディーズレーベルとなる。エクスタシーレコードが活動を凍結した現在もロサンゼルスに所有するONE ON ONE RECORDING STUDIOの運営会社として[[EXTASY RECORDS|EXTASY RECORDS INTERNATIONAL]](EXTASY INT'L)を興しており、“エクスタシー”の名を残し起業家としても知られている。
'''[[プラチナム・レコード|PLATINUM RECORDS]]'''
:1994年に[[ポリグラム]]グループとプロデューサー契約を結び設立。GLAYなどがこのレーベルからメジャーデビューした。
'''[[EXTASY RECORDS|EXTASY JAPAN]]'''
:[[メディアファクトリー]]の出資を受けを[[2000年]]に設立、イーストウエストジャパン(当時)と流通契約する。同時にアメリカのEXTASY INT'Lがワーナー・ブラザーズ(現在の[[ワーナー・ミュージック・グループ]])と流通契約をし(※ワーナーグループの日米協業は、これが初となる)、本格的にメジャーレーベルでの活動も始めた
'''[[EXTASY RECORDS|EXTASY RECORDS INTERNATIONAL]]'''
 
:ロサンゼルスにあるONE ON ONE RECORDING STUDIOの運営会社。2000年に[[ワーナー・ブラザーズ|ワーナー・ミュージック・グループ]]とディストリビューション契約し、レーベルとして始動した。(※ワーナーグループの日米協業はこれが初)
== エピソード ==
; プロフィール
131 ⟶ 126行目:
* [[ピアノ]]
** [[ローランド]]エレクトリックピアノ。正式な型番は不明。インディーズ時代から最初の武道館辺りまで使用した。初期のステージでは生ピアノを使えなかった(ステージのスペースの都合と予算の問題の為)為ステージで使用され、このエレピではピアノ以外にもチェンバロなど、音色を変えて演奏する事も多かった。
** [[河合楽器製作所|KAWAI]] 製の透明なピアノ「[[クリスタル・ピアノ|クリスタル・グランド]] CR-40A」を主にステージで使用している。[[ドラム]]セットと同じく、枠・蓋・脚など外装部分が無色透明な[[アクリル]]製でできている。生音は、通常の木製ピアノと若干異なる(アクリルは木と比べて鳴らないことや、金属パーツが木製ピアノと比べると多い事が理由。また、普通のピアノと比べても重量がかなりある)が、マイクで音を拾うライヴの場合はそれ程影響はないとのこと。それまで音楽業界の一部にしか知られていなかった特殊なモデルのピアノだったが、そのモダンなデザインと、未来的な外見が、彼によって一般にも広く知られることとなったため、[[河合楽器製作所|KAWAI]]社内では「'''ヨシキ君のピアノ'''」と呼ばれるようになった{{要出典}}ほど大きな宣伝効果をもたらした。それからは、あちこちの施設にこのモデルが納入されるようになり、憧れのステイタスとして定着している{{要出典}}。しかしながらそれだけでなく、彼は自宅でも[[河合楽器製作所|KAWAI]]製ピアノを愛用しているほど、[[河合楽器製作所|KAWAI]]とはそもそも親密な関係であることを公言している。
** [[スタインウェイ]] フルコンサートピアノ。[[カーネギーホール]]で使われていたものを買い取り、所有スタジオで使用している。通常の新品だと1台1,000万円程だが、著名なアーティストのサインが多数入っており、現在では値段がつけられない。<ref>2007年1月24日「世界バリバリ★バリュー」</ref>
** 他にもロサンゼルスのスタジオに様々な種類のピアノを約30台所有している。
* [[星野楽器|TAMA]] [[ドラム]]