「ウーファ (映画会社)」の版間の差分

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1920年代後半には財政難に陥り、1927年に実業家の[[アルフレート・フーゲンベルク]]によって買収された。フーゲンベルクは後に右翼の[[ドイツ国家人民党]]党首となり、1933年に[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]が政権を取ると、ヒトラー内閣の経済相・農相となった。このような経緯によって、ウーファーはナチのプロパガンダ映画も製作するようになる。さらに1937年にはナチ党がウーファーの株を72%取得、宣伝大臣[[ヨーゼフ・ゲッベルス]]は、映画の力を重要視しウーファーの人事権や経営権に介入、1942年には完全に国有化になる。この間に[[フリッツ・ラング]]や[[エルンスト・ルビッチ]]、[[ビリー・ワイルダー]]やマレーネ・デイートリッヒなどのユダヤ系、反ナチス系映画関係者が海外に亡命する。
 
一方ではトーキー作品も多く作られ、『西部戦線1918年』(1930)『[[M (1931年の映画)|M]]』(1931)『制服の処女』などの劇映画。(1931)前述の『[[嘆きの天使]]』(1930)『ガソリンボーイ三人組』(1930)・『狂乱のモンテカルロ』(1931)・『[[会議は躍る]]』(1931)・『[[三文オペラ]]』(1931)『ワルツ合戦』(1933)などのシネオペレッタと呼ばれる音楽映画が相次いで製作され、レベルの高い作品と楽しい主題歌は世界中でヒットした。
 
ナチス政権下では、『突撃隊員ブラント』『ヒトラー少年クヴェックス』や『ユダヤ人ジュース』などの醜悪なプロパガンダ映画がつくられる一方、『[[誓いの休暇]]』『[[ほら男爵の冒険]]』などの良作も製作された。映画人も、エミール・ヤニングスやヴェルナー・クラウスなどのスターが残ったが、かつての高レベルの映画を作る勢いはなかった。大戦勃発後も映画活動は続けられ、[[1945年]]1月、ソ連軍の砲火が迫る中、ゲッベルスの肝いりで最後の大作『コルベルク』が製作されたが、最早国内は映画どころではなかった。5月1日のドイツ降伏の日とともに『コルベルク』の上映は禁止された。