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'''ジュール・アルドゥアン=マンサール'''({{lang|fr|Jules Hardouin-Mansartr}},[[1646年]][[4月16日]] - [[1708年]][[5月11日]])は[[フランス]]の[[建築家]]。[[フランソワ・マンサール]]の兄弟の孫。[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]の主席建築家になった人物である。フランスの後期[[バロック建築]]の第一人者の一人であり、ルイ14世の権力と栄光を表す数々の建築物を手がけた。
[[Image:Hardouin-Mansart, Jules.jpg|thumb|right|ジュール・アルドゥアン=マンサール]]
 
ジュールは[[オテル・デ・ザンヴァリッド|アンヴァリッド]]を設計した[[リベラル・ブリュアン]]と、大おじの[[フランソワ・マンサール]]に師事したのち[[サン=ジェルマン=アン=レー]]城の拡張を皮切りにルイ14世の愛人の[[モンテスパン侯爵夫人フランソワーズ・アテナイス|モンテスパン公爵夫人]]の城を設計したことで王の評価を勝ち取った。
[[1675年]]から[[ヴェルサイユ宮殿]]の造営に携わり[[1681年]]に王の主席建築家に、[[1699年]]に王家の建物の総監に任ぜられた。
 
こうして、[[1675年]]から王室建築家になり、[[ヴェルサイユ宮殿]]の造営に携わるが、より多くをル・ヴォ一に負ったとされる。ヴェルサイユ官の鏡の間においては、ル・ヴォーの基本的構成をアルドゥアンとルブランが完成にいたる際アルドゥアンは有能、迅速かつ適応性があったため、宮廷の芸術的要請を完全に理解し、官僚建築家として頭角を現わしたという。
アカデミー出身のジュールの洗練されたスタイルは後期バロックを方向付けその影響は遠く[[サンクトペテルブルク]]や[[イスタンブル]]にも及ぶほどである。一方で彼のスタッフが大所帯であったことから彼自身が直接関わったデザインは少ないのではないかという意見もある。
 
[[1675年]]から[[ヴェルサイユ宮殿]]の造営に携わり[[1681年]]に王の主席建築家に、[[1699年]]に王家の建物の総監に任ぜられた。
 
こうした出世街道は、人々のねたみを喚起し、[[サン・シモン]]は、ジュールが彼の任事すべてを自分のものとするために従順な[[建築家]]を代作者として置いたかどで告発したという。この意味では、ジュールはランエロンスやビェール・ル・ポートルといった才能ある助手に恵まれ確かに幸運であったというが、しかし彼自身、真の才能を備え、王の背景として要求される光と視覚上のドラマチックに演出する鮮やかな感覚を有していたことも事実としてあり、事実アカデミー出身のジュールの洗練されたスタイルは後期バロックを方向付け、その影響は遠く[[サンクトペテルブルク]]や[[イスタンブル]]にも及ぶほどである。一方で彼のスタッフが大所帯であったことから彼自身が直接関わったデザインは少ないのではないかという意見もある。
 
1670年以降ヴェルサイユの大増築に携わったが、この増築は外観としては災難で、ル・ヴォ一による庭園側ファサードの中央テラスにはめ込みをし、その長さを三倍にしたという。オランジェリートリアノン礼拝堂はそれに比べて巧妙に処理されたが、礼拝堂はロベール・ド・コットにより完成された。彼のバロック的傾向はパリのアンヴァリッド教会(1680年)において最高潮に達したがその一方でプアンドーム広場(1689年)などは、都市計画に対する彼の天分を示している。
 
[[1682年]]に爵位を授けられたのだが、1699年に[[サゴヌ]]の土地を130000[[リーヴル]]で買うまでは領主になれなかった。
 
人生の終り間近くの作品、とくに1690年代に彼の指図の下に再装飾をほどこされたヴェルサイユ、トリアノンマーリーの各宮殿の数多くの部屋部屋は、バロックの社歴さからロココへの第一歩を記すより明るくより優美な様式へと変化したと指摘されているほか、ナンシーの大聖堂(1699年-1736年)の内部装飾は、フランスにある[[古典主義]]的教会のデザイン中もっともすばらしいもののひとつとされている。
 
最後の仕事、ムードンに建つシャトー・ヌフ(1706年-1709年)は外競の広大さを、内部のくつろいだ感じと十分な間取りとに結びつけている。
 
==手がけた建築==
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*[[フランソワ・マンサール]]
*[[マンサード屋根]]
==参考文献==
* G・Cattani & P・Bourget Jules Hardouin-Mansart 1956
* A.Blunt Art and Architecture in France 1500-1700 Pelican History of Art 3rd edn Haermondsworth 1973
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[[Category:フランスの建築家|あるとうあんまんさる しゆる]]