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'''ミゲル・ドス・アンジョス・ダ・クーニャ・リスボア・トロボアダ'''(Miguel dos Anjos da Cunha Lisboa Trovoada、[[1936年]] - )は、[[サントメ・プリンシペ|サントメ・プリンシペ民主共和国]]の首相([[1975年]] - [[1979年]])、同国[[サントメ・プリンシペの大統領|大統領]]([[1991年]] - [[2001年]])。
 
トロボアダは[[サントメ]]市に生まれ、[[アンゴラ]]の中学校に通った後[[ポルトガル]]の[[リスボン大学]]で法律を学んだ。[[1960年]]に以前同級生だった[[マヌエル・ピント・ダ・コスタ]]とサントメ・プリンシペ解放委員会(CLSTP)を設立し、後[[1972年]]に[[サントメ・プリンシペ解放運動社会民主党]]となった。委員会は[[ガボン]]に本部を置き、トロボアダは[[1961年]]から[[1975年]]まで外務局長を務めあげた。1972年には[[アフリカ統一機構]](OAU)からMLSTPの承認を得るため尽力した。
 
独立後は初代首相([[1975年]][[7月12日]] - [[1979年]]3月)に就任しとなったが、就任した直後から大統領との関係が悪化し[[1979年]]に当時のコスタ大統領は首相のポストを廃止した。その数ヶ月後、トロボアダは政府に対して陰謀を企てていると逮捕され、21ヶ月こう留された後[[フランス]]に亡命した。[[1990年]]5月に国家体制が民主制に移行すると彼は帰国して大統領選を展開した。
 
[[1991年]]トロボアダは同国初の民選大統領に就任し、[[1996年]]に再選された。彼が大統領選に立候補した際には無所属だったが、1期目の終わりごろに[[独立民主行動]](ADI)という新政党を組織結成した。また、彼の政府は[[1995年]]8月15日から8月21日の間[[クーデター]]により短期間打倒された。
 
[[2001年]][[9月3日]]に[[フラディケ・デ・メネゼス]]が国家元首の宣誓をし、トロボアダの任期は終わった。ちなみに、彼の息子パトリス・トロボアダも政治家である。
 
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