「ジョージ・スティーヴンス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
作品
Racquo (会話 | 投稿記録)
m 1970年ベルリン国際映画祭審査委員長の逸話を加筆。また同映画祭へのリンク作成。
11行目:
そして[[1955年]]、壮大な家族ドラマで[[ジェームズ・ディーン]]の遺作となった『ジャイアンツ』でその名声を決定的なものにした。本作では2度目のアカデミー監督賞を受賞、アメリカの家庭劇を中心に描いたことから、'''ドメスティック・リアリズムの巨匠'''と称された。映画作りに関しては常に完璧主義者で、その作風は一つ一つのシーンやショットに画面の美しさと伏線的な効果を求めた為に、納得するまで何度もテイクを重ねることになり、ある時にはワン・シーンを撮るのに数ヶ月かかることがあったという。その為、会社上層部とは常に険悪な仲だったという。
 
[[1959年]]に初めて[[シネマスコープ]]を採用して『アンネの日記』を発表、しかし5年の歳月をかけて製作した[[1965年]]の『[[偉大な生涯の物語]]』以降は目立った活動はしていない。1970年にはベルリン映画祭で審査委員長をつとめたが、1966年にベトナムで起こった米兵士による少女レイプ・殺害事件を元にしたミヒャエル・ヘルホーファンの西独作品『O.K.』のボイコットを提案し、結果全審査員が辞任し、賞選定も行われないという混乱をもたらした。[[1975年]]、[[カリフォルニア州]][[ランカスター]]で心臓発作で亡くなった。
 
息子のジョージ・スティーヴンス・Jrは[[アメリカ映画協会]]の代表職を長年務め、アメリカ映画の保存と後進の育成に尽力した。
41行目:
*[[ジョージ・キューカー]]
*[[ルイス・ブニュエル]]
*[[第20回ベルリン国際映画祭]]
 
{{DEFAULTSORT:すていうんす しようし}}