「タイロナ」の版間の差分

タイロナの国家が衰退し始めたのは、[[1528年]]のロドリゴ・デ・バスティダス(Rodrigo de Bastidas)の到着が契機であった。そして[[1550年]]に80%の人々がいなくなって、のこり20%の人々は、より標高の高い山地へ逃れていった。混血していく人々もいた。山地に残った人々は、コギ<ref>Kogi,Cogui,Koguiなどと表記される。</ref>、イカ(Ika)、サンカ(Sanká)という部族として生き残っている。
 
== 」と耕地の様子 ==
考古遺跡として残ったPueblitoの遺跡は、タイロナの「重要な街」である。Pueblitoは、3000軒ほどの家々が軒を連ね、そのほかには、宮殿や神殿として建てられたすばらしい建築物があった。「街」を通る大通りは、平石で舗装され、すべての集落が石敷きの道路で結ばれていた。「街」の中を流れる小川には、平石で造られた橋がかけられた。[[考古学]]的な調査ではひとつづつの家の丸い輪郭が土台のみの形で発見される。平石が円形に並べられ側面には造り出しのように並べられ、平石の端が平石に接するように順番に並べられる。それらの円形ないし環状の家には対称的な位置に出入口が設けられている。出入口は、平石を並べてわかるようになっている。調理用の[[土器]]や斧や石のすり皿、石棒などの道具は家屋の床面から発見される。
 
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