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2005年6月22日 (水) 09:02時点における版

織田 信右おだ のぶすけ1713年1762年)は、上野小幡藩の第5代藩主。第4代藩主・織田信就の四男。正室は松平頼明の娘。官位は従四位下。若狭守。兵部大輔。

四男であったが、兄の織田信房織田信常織田信乗がいずれも病弱であったため、1730年10月に後継者として指名された。1731年、父の死去により家督を継ぐ。しかし藩主を継いだ頃から病気がちとなり、藩政を家臣任せでほとんど隠居に等しかった。また、このころの藩では収入よりも支出が大きく上回り、1757年には江戸表の上屋敷が焼失するという災難もあった。このような中、信右は病を理由に1759年11月11日、家督を弟の織田信富に譲って隠居し、1762年8月18日に50歳で死去した。