「クールラント」の版間の差分

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m 英語表記より、現地語表記を優先すべき
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[[Image:Rundale Pilsrundale Eingangsportal.jpg|thumb|250px|ラトビアに残るクールラント公国の宮殿]]
[[Image:Duchy of Courland & Semigallia 1740.svg|thumb|250px|1740年のクールラント公国(中央・肌色)<br><br>北に[[ロシア帝国]](黄緑)、東にポーランド領[[リヴォニア]](薄茶)、南には[[リトアニア大公国]]がある]]
'''クールラント'''([[ラトビア語]]:'''CourlandKurzeme''', [[ドイツ語]]'''Kurland''')は現在の[[ラトビア]]西部地方の旧名。ラトビア語では'''クルゼメ'''と呼ばれる
 
この地方は古来より[[バルト語族]]の[[ラトビア人]]([[リヴォニア]])の住地であったが、[[13世紀]]始めに[[ドイツ]]系の[[リヴォニア帯剣騎士団]]に征服され、[[1237年]]には[[ドイツ騎士団]]領となった。このような状態が[[中世]]を通じて続いたため、支配者は[[ドイツ人]](とくに[[バルト・ドイツ人]]という)、被支配者はラトビア人という社会構造になった。クールラントは、[[近世]]、[[バルト帝国]]を形成していた[[スウェーデン]]と、[[ポーランド・リトアニア連合]]の盟主[[ポーランド王国]]間の[[緩衝国]]となった。[[大北方戦争]]では、スウェーデンに占領されたが、後に[[ロシア帝国]]の影響下に入った。