削除された内容 追加された内容
97行目:
:ご神体については現在のところ各派異なりますが今後は分かりませんが、世界救世教を紹介しているページなどでは「ご神体」は「大光明真神」と記載してあるようです。信徒数については概算180万人では如何でしょう。
しかし、この数字の確証はという点が気になります。--[[利用者:Jesudonbay|Jesudonbay]] 2008年8月5日 (火) 16:06 (UTC)
 
[http://www.izunome.jp/border/ いづのめ教団のホームページ]に明記されています。 --[[利用者:Brandy of plum|Brandy of plum]] 2008年8月6日 (水) 14:00 (UTC)
 
 
130 ⟶ 132行目:
≪チタン、セラミックだけではありません。≫--[[利用者:Jesudonbay|Jesudonbay]] 2008年8月5日 (火) 16:06 (UTC)
 
はい、事実はそうでしょう。問題は、その情報が、いったいどれくらい、一般人向けの情報提供の場所であるWikipediaに書くにふさわしい「重要な情報」「枝葉ではなく幹の情報」なのかということです。私からみると、おひかりの容器が絹なのかチタンなのかセラミックなのかというような情報は、世界救世教という項目で解説すべきこと中でうち、大して重要な事ではなく、幹の情報でもなく、単なる豆知識的な枝葉の方の情報だと考えます。おそらく、註釈に「おひかりは、当初は絹袋だったが現在は防水加工を施したチタンかセラミックのロケット」と、一行ちょっと書けば十分な情報で、べつに無くてもよい情報です。そうすると、「さらに例外でそれ以外の容器もある」などという情報は、枝葉も枝葉、まったく必要ない情報となります。
編集者は、自分の知っている情報のうち、なにが根の情報で、なにが幹の情報で、なにが枝葉の情報なのかをきちんと把握し、根の情報と幹の情報を短く端的にスマートに表現し、それ以外の情報は書かないかそれにふさわしい程度の表現(註釈に一行程度、など)で済ませるという、そういうバランス感覚が必要です。
 
だから、あなたが登場したときに書いた、「私は教団の裏の裏まで知っている」というような、そんな詳しい知識は、ほんとうは一般人向けの情報提供の場所であるWikipediaの編集には必要がないのです。むしろ知りすぎていることで、なにが一般人にとって大事な情報で、なにが一般人にとって枝葉で重要ではない情報なのかの区別が分からなくなってしまうのならば、その知識はWikipediaにはかえってであになるということになってしまいます。
--[[利用者:Brandy of plum|Brandy of plum]] 2008年8月6日 (水) 12:58 (UTC)