「利用者‐会話:Jesudonbay」の版間の差分

m
編集の要約なし
m編集の要約なし
 
加筆についてはより詳しく展示内容や特色などをメモ帳にて下書きしているところです。また間違った記載がないように箱根美術館やMOA美術館に問い合わせたりして進めています。写真などの掲載も許可を頂ける様にお願いもしています。末尾で失礼ですが激励ありがとうございました。--[[利用者:Jesudonbay|Jesudonbay]] 2008年8月4日 (月) 07:01 (UTC)
 
== ノート:世界救世教について ==
 
とりあえず、いまは教団史の項目だけの議論だけにして、それ以外の部分はやめませんか?(一回、消しませんか?)。[[ノート:世界救世教]]がこのままだとぐちゃぐちゃになります。 --[[利用者:Brandy of plum|Brandy of plum]] 2008年8月5日 (火) 14:35 (UTC)
 
ごめんなさい。やはりどうにもならないので消しました。まずは教団史の、しかも具体的内容よりも方針の話をやりましょう。消した文はここに貼り付けます。私のコメントも入っていますのでご参照下さい。それ以外は、ちょっとずつやりましょう。そうしないと議論がぐちゃぐちゃになるからです。
 
--[[利用者:Brandy of plum|Brandy of plum]] 2008年8月5日 (火) 14:49 (UTC)
 
 
----
 
 
=== 草稿、校閲、修正、加筆===
 
≪テンプレートにしてもいいかと思います≫
 
正式団体名 :宗教法人 世界救世教(せかいきゅうせいきょう) 立教 1935(昭和10)年
開祖・教祖 :[[岡田茂吉]](おかだ・もきち) 信者尊称=「明主様(めいしゅさま)」
現指導者: 四代教主 岡田陽一
本拠地:  静岡県[[熱海市]]桃山町26-1
<del>崇拝対象: 大光明真神(みろくおおみかみ) 信徒数概算(海外含む) 100万人 </del>
以前書いた通り、「大光明真神」は世界救世教の解説として不適切です。昔はそうだったという記述は意味がありません。信者は海外だけで100万人を越えているので(タイ66万人、ブラジル40万人)この人数は正しくありません。
--[[利用者:Brandy of plum|Brandy of plum]] 2008年8月5日 (火) 14:11 (UTC)
 
ご神体については現在のところ各派異なりますが今後は分かりませんが、世界救世教を紹介しているページなどでは「ご神体」は「大光明真神」と記載してあるようです。信徒数については概算180万人では如何でしょう。しかし、この数字の確証はという点が気になります。--[[利用者:Jesudonbay|Jesudonbay]] 2008年8月5日 (火) 16:06 (UTC)
 
人数については、[http://www.izunome.jp/border/ いづのめ教団のホームページ]に明記されています。
 
御神体については、世界救世教の御神体を大光明真神と書くことは、いづのめ教団だけが世界救世教の正統であるという意味になってしまうので、事実ではなく、論争のタネになるだけなので不適切です。だったら何も書かない方が良いでしょう。他のホームページの記述は、三派分立前の資料をもとに書いているからそうなっているわけで、それを知っているから関係者も指摘せず見逃しているわけすが、Wikipediaではそれは無理でしょう。
 
--[[利用者:Brandy of plum|Brandy of plum]] 2008年8月6日 (水) 14:00 (UTC)
関連団体: 財団法人[[「MOA美術館」]]、財団法人[[「箱根美術館」]]
::財団法人[[「自然農法開発センター」]]、財団法人[[「環境科学総合研究所」]]
 
''' 世界救世教'''
 
静岡県熱海市に本拠点がある宗教団体。一般的には[[「おひかりさん」]]として有名。
スローガンは「地上天国建設」で現世至福論を根幹とし、<del>宗教団体でありながら現代的な思考を持っている。</del>
こういう記述は主観的でWikipediaには不適切です。全体的にこういった主観的な記述が多いように思います。 --[[利用者:Brandy of plum|Brandy of plum]] 2008年8月5日 (火) 14:11 (UTC)
 
[[「自然農法」]]
岡田が昭和10年から提唱し普及している、無肥料無農薬の農法。
 
≪先頭に挿入「蒐集の主な動機」≫--[[利用者:Jesudonbay|Jesudonbay]] 2008年8月5日 (火) 16:06 (UTC)また、文化芸術に関しても、この教団の特異性が見受けられる。教祖の眼力で昭和10年代から蒐集した美術品、尾形光琳作「紅白梅図屏風(紙本金地著色紅白梅図)」、野々村仁清作「色絵藤花文茶壷」、「手鑑翰墨城」国宝3点をはじめ重要文化財65点、重要美術品など含め3000点余りの所蔵品を熱海市にある[[MOA美術館]]と箱根町強羅にある[[箱根美術館]]にて展示している。
 
美術品自慢よりも、なぜ美術が重要視されているのかという思想背景の方が重要ではないでしょうか。--[[利用者:Brandy of plum|Brandy of plum]] 2008年8月5日 (火) 14:11 (UTC)
 
[[「浄霊」]]
 
*<del>岡田茂吉は大本教の[[出口王二三郎]]に師事し幹部までになった人物であるが、大本に学びながら独自の心霊研究を進めていた。他の大本教の幹部などの反発もあり心霊研究に没頭するため大本を離脱した後「浄霊」という画期的なヒーリング法を生みだす。</del>
≪↑この部分は大本のページから拾って編集したものです≫--[[利用者:Jesudonbay|Jesudonbay]] 2008年8月5日 (火) 16:06 (UTC)
岡田は、病気とは霊、魂が曇るところから生じるものであるとし、手をかざすことによって神の光を放射し、霊の曇りを取り除くことで、自ずから病は癒えるとする浄霊を提唱した。なお、浄霊という言葉は岡田による造語である。
 
画期的、とかは主観的です。大本のくだりは不要でしょう --[[利用者:Brandy of plum|Brandy of plum]] 2008年8月5日 (火) 14:11 (UTC)
 
*「おひかり」は教祖の念(魂)が入った(教祖が書いた「光」という書)半紙に書かれた書で、それを絹の袋に入れ錦糸刺繍の外袋で覆いビニールのカバーをつけた約10センチ角のものに絹の紐で首から下げるものであったが、紙、布であるため汗で中が濡れる、また衣服の上から「おひかり」が見えて現代に適合していないとして、昭和49年に、「おひかり」の書をマイクロフィルムとしたものに変更し、それを2重構造を持つカプセル形に変更をした。
<del>カプセルは合金に金メッキであったが腐食が早いため、教団幹部は信者に公表することなく自分達のみ18kの金カプセルとしたようだ。その後は一般信者も購入できるようになった。</del>
 
これは必要のない情報でしょう。これよりも必要な情報は、現在のおひかりは、チタンかセラミックであるということでしょう。そもそもおひかりの入れ物の説明は不用でしょう。光の文字をかけて浄霊をするということをまず書き、その入れ物は、昔は絹袋、現在はチタンかセラミックであることを書けばよく、途中経過は不要でしょう。--[[利用者:Brandy of plum|Brandy of plum]] 2008年8月5日 (火) 14:11 (UTC)
 
≪チタン、セラミックだけではありません。≫--[[利用者:Jesudonbay|Jesudonbay]] 2008年8月5日 (火) 16:06 (UTC)
 
はい、事実はそうでしょう。問題は、その情報が、いったいどれくらい、一般人向けの情報提供の場所であるWikipediaに書くにふさわしい「重要な情報」「枝葉ではなく幹の情報」なのかということです。私からみると、おひかりの容器が絹なのかチタンなのかセラミックなのかというような情報は、世界救世教という項目で解説すべきことのうち、大して重要な事ではなく、幹の情報でもなく、単なる豆知識的な枝葉の方の情報だと考えます。おそらく、註釈に「おひかりは、当初は絹袋だったが現在は防水加工を施したチタンかセラミックのロケット」と、一行ちょっと書けば十分な情報で、べつに無くてもよい情報です。そうすると、「さらに例外でそれ以外の容器もある」などという情報は、枝葉も枝葉、まったく必要ない情報となります。
編集者は、自分の知っている情報のうち、なにが根の情報で、なにが幹の情報で、なにが枝葉の情報なのかをきちんと把握し、根の情報と幹の情報を短く端的にスマートに表現し、それ以外の情報は書かないかそれにふさわしい程度の表現(註釈に一行程度、など)で済ませるという、そういうバランス感覚が必要です。
 
だから、あなたが登場したときに書いた、「私は教団の裏の裏まで知っている」というような、そんな詳しい知識は、ほんとうは一般人向けの情報提供の場所であるWikipediaの編集には必要がないのです。むしろ知りすぎていることで、なにが一般人にとって大事な情報で、なにが一般人にとって枝葉で重要ではない情報なのかの区別が分からなくなってしまうのならば、その知識はWikipediaにはかえって害になるということになってしまいます。
--[[利用者:Brandy of plum|Brandy of plum]] 2008年8月6日 (水) 12:58 (UTC)
 
 
 
全体を通じて、長すぎて不要な装飾が多いと思います。「岡田茂吉がそれをはじめたときの考え」を短く書き、必要ならば「(三派に気を使った内容で)現在はこうである」ということを書けば十分で、途中の状況はあまり必要ないと思います。また、主観的な「画期的」とか「現代的」とかはWikipediaなので書かない方がいいでしょう。--[[利用者:Brandy of plum|Brandy of plum]] 2008年8月5日 (火) 14:11 (UTC)
 
:了解です。--[[利用者:Jesudonbay|Jesudonbay]] 2008年8月5日 (火) 16:06 (UTC)
 
== 教団の特徴 ==
 
【離脱、分派、派生教団が特に多く目立つ教団】
 
*日本の終戦後の[[新興宗教]]として5大宗教にあげられる。大本の幹部だった[[岡田茂吉]](1882-1955)が立教した教団だが教祖前中から教祖死去以降に離脱、分派、派生教団を多く見られるのも、この教団の特色と言える。
 
それは、強大なカリスマ性を有していた教祖の死去という事件が、教団に大きな動揺をもたらしたことに端を発し、教祖の死去以降、教団の変革が激しく行われたため、教義上の理由から反対する余地が多かったことや、教団の変革のなかに各教会に経済上の不利益を課すものがあったこと、また、改革以前は傘下の教会は独立採算制度であったがため離脱しやすかったと同時に、各々の教会主宰者自身のカリスマ性が強かったことなどが、こうした分派活動を促した側面があると言える。
 
事実、分派が目立ったのは、激しく変革が行われた岡田茂吉死去の1955年以降(晴明教・世界浄霊会など)と、教団運営の中央集権化が図られた1970年以降(救世神教・神慈秀明会など)に多い。
 
上記団体以外にも世界真光文明教団や崇教真光など「真光系」と呼ばれる教団も、教祖である岡田光玉が世界救世教の布教師として活動していたことや、教義の酷似性などから、一般的には世界救世教の分派として捉えられている(真光系教団は、教
祖が世界救世教の布教師として活動していた事実を公表はしていない)。
 
ネット検索ではカテゴリーで[[「手かざし系」]][[「真光系」]]で世界救世教の分派・派生教団が多く検索できる。
 
【「自然農法」を普及させた教団 】
 
今でこそ、自然農法だの有機農法だのと食物に関心を持つようになったのは、つい最近のことであるが、この教団は教祖の発想で昭和10年から「食は健康の基本」として食による健全化を実施研究し普及に努めてきた。よく見かける「自然農法産、米 40年」とか「30年」というものは、この当時に入信した農家の人が多い。
関連に「自然農法開発センター」「大仁、石垣島、北海道、海外?などの実験農場」「自然農法大学」などがある。
 
≪ここが重複するところで整理つかないところです、世界救世教の中=美術館=岡田茂吉≫
 
 
<del>【文化芸術活動としての美術館】</del>
 
【美術を重要視する教団】 --[[利用者:Brandy of plum|Brandy of plum]] 2008年8月5日 (火) 14:23 (UTC)
 
<del>*岡田茂吉は東京美術学校(現・東京芸大)に進むほど美術は優れていた人物であったようだ。
特に「蒔絵」には対しては並々ならない思いがあったと伺える。残念なことに「蒔絵」にとっては大事な利き手である右指の筋を工芸作成中に切ったため「蒔絵師」になることを
諦める。また岡田茂吉は生まれながら身体が弱く当時、結核にかかり学校を中退している。
その後、天性的な美の持ち主であったようで、彼が好んだ琳派のデザインを幾つも残している。
また将来の実業家でもあった彼は小間物問屋「光琳堂」を昭和  に設立させ、当時の博覧会に彼のデザインした「旭ダイヤ」を出品し好評を博した。この「旭ダイヤ」の売り上げが「光琳堂」を更に大きくさせ、後に「岡田商店」と名を改めた。
 
その岡田茂吉が芸術関連で影響を受けたとされるのが、大本教の出口師である。両者とも芸術を重んじ、陶芸、書道、文学に多彩な知識と能力を持ち合わせていたため意気投合していたようだ。
岡田茂吉は大本から脱退後、芸術と宗教の一体化を図り、世界救世教が大教団に発展するとともに彼が持つ美への眼力とでも言うか後に国宝や重文になる一流芸術品の蒐集を始めた。
特に第二次大戦終戦前に至っては、日本の貴重な美術品が進駐軍にて没収、蒐集されているのを食い止めるためより多くの美術品を蒐集をした。現在、国宝となっている仁清作の「藤花文茶壷」が入手でき手元に届いたのが岡田茂吉死去する2日前のことだった。
 
岡田茂吉の死後、生前中に口述記録された構想に従い、熱海の聖地「瑞雲郷」にある建物「救世会館」の一角に仮住まいとして「熱海美術館」が会館された。
 
教団は岡田茂吉の構想を実現させるため、財団法人「M.O.A(エム・オー・エー)美術文化財団」を1980年に設立させた。
M.O.A とは Mokichi Okada Association の頭文字をとったもので、岡田茂吉の思想と実践を宗教団体の枠組みを超えて世界に伝え、その活動の母体となることが財団の設立主旨。
 
「箱根美術館」「MOA美術館」の管理団体。
 
箱根美術館は教祖自ら設計し昭和27年に開館した。開館に際しての来賓には、、、、、などが招かれ各人が記帳された来賓簿は大切に保管されている。
MOA美術館は熱海の教団聖地の建物の一角にあった「熱海美術館」後の「熱海救世美術館」が前身である。同美術館は教祖生前中よりの構想にて足掛け30年近くの歳月を要し1982年に完成した。
 
1997年には同館購入の「レンブラントの自画像」の真贋を巡ってマスコミに取りざされている。結局、所蔵のものが本物であると判明。</del>
 
この解説は全体が不要だと思います。何でもかんでも書けばいいってものじゃない。教義で美術鑑賞と美術館が重要であることを短く書けばそれで十分。--[[利用者:Brandy of plum|Brandy of plum]] 2008年8月5日 (火) 14:23 (UTC)
 
 
*財団法人・日伯美術連盟はメキシコにある教団の施設「教会」と現地との交流の中から生まれたもので、目的の概要は「日伯両国の美術及び美術家の交流による両国文化進展及び平和親善に寄与すること」
として昭和48年10月23日に設立。初代理事長は東郷青児である。
 
【ボーイスカウト】
 
===教団の三大「聖地」と建物 ===
≪箱根、熱海、京都の規模と大まかな環境の説明≫
113

回編集