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== 概要 ==
[[弘仁]]元年([[810年]])の[[薬子の変]]をきっかけに蔵人所が設置されると、従来は[[後宮]]の[[内侍司|内侍]]を通して伝えられていた天皇の勅旨の太政官への伝達が、次第に蔵人所の職事によって行われるようになった。
 
天皇の勅旨<ref>口頭で受けるために「口勅」ともいう。</ref>を奉じた職事蔵人は太政官の[[陣定|陣座]]に赴いて上卿に対してその内容を口頭で伝えた。これを職事の仰詞<ref>「おおせことば」と読む。あくまでも、天皇が職事蔵人の口を借りて命令を太政官に伝えるという体裁を取っていたため、「天皇が仰せられた詞(ことば)」の意味で用いられた。</ref>と称したが、勅旨の内容を口で伝える(宣べる<ref>述べる・陳べると[[同音同義語]]で「のべる」と読む。「宣」には上位者(この場合は天皇)から下位者(同じく上卿)への命令という意味がある。</ref>)ことから、「口宣」もしくは「宣旨」とも称した。
 
しかし、上卿が常に太政官にいるとは限らず、天皇の側が臨時の勅旨を発する事もあり得た。そのため、命令を伝える間に蔵人の誤りその他により天皇の出した命令と上卿が実際に受けた命令が食い違う可能性もあった。そのため、あらかじめ天皇の勅旨を紙に書いてそれを上卿に渡すようになった。これが「口宣」もしくは「宣旨」へと発展する事になる。