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[[千葉県立安房高等学校]]時代の夏、TOSHIとその他同級生で[[X JAPAN|X]](後の[[X JAPAN]])を結成、TOSHIと共に当時あった青山レコーディングスクール入学のため上京する。一部のメンバーは卒業と同時にバンドを辞め大学に進学した。その後の活動は、[[X JAPAN]]の項を参照。
 
*[[1991年]]に[[小室哲哉]]とのユニット[[V2 (ユニット)|V2]]を結成。同年[[12月18日]] [[東京ベイNKホール]]でV2のLIVE「V2 SPECIAL LIVE VIRGINITY」開催した
'''[[1991年]]'''
[[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]と[[1992年]]に初のソロ契約。翌年に東芝EMIより[[クィーン]]の[[ロジャー・テイラー]]と「Foreign Sand」をリリースした。
* [[小室哲哉]]とのユニット[[V2 (ユニット)|V2]]を結成。
 
* [[12月18日]] [[東京ベイNKホール]]でV2のLIVE「V2 SPECIAL LIVE VIRGINITY」開催。
X JAPANが1997年に解散をしたあとは表舞台には上がらず、VIOLET UKや北野井子らのプロデュースを手がけていたが、[[1999年]]、[[天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典]]で奉祝曲「Anniversary」を御前演奏した際に受けたファンからの歓声が再起のきっかけとなったと明かしている。
'''[[1992年]]'''
* [[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]とソロ契約。
* [[タカラ (玩具)|タカラ]]から、リカちゃん人形シリーズ初の実在する人物の人形「スターライトYOSHIKI」発売。
'''[[1993年]]'''
* YOSHIKIブランド「Larme(ラルム)」香水、下着を発売。
'''[[1999年]]'''
* [[天皇|天皇陛下]]御在位10周年奉祝曲「Anniversary」を[[天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典|記念式典]]でピアノ御前演奏。
'''[[2002年]]'''
* [[2月22日]]~[[2月27日]] X JAPANフィルムギグとVIOLET UKのプロモーションで[[大韓民国|韓国]]・[[ソウル特別市|ソウル]]を初訪問。
* [[3月24日]] 渋谷と恵比寿にて、握手会開催。<ref>[http://www.famitsu.com/entertainment/news/2002/03/27/n03.html なんと! YOSHIKIが初握手会を緊急開催します!! - ファミ通.comエンターテイメント]</ref>
* 携帯電話向けコンテンツ「[[YOSHIKI mobile]]」スタート。
* [[コロムビアミュージックエンタテインメント]]と契約。
* [[2002年]][[9月1日]] [[globe]]に電撃加入。globeでの活動はマキシシングル「[[seize the light]]」のリリースのみである。のちにYOSHIKIを加えた活動時にはユニット名が「[[globe extreme]]」になることが発表された。
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* [[宝塚歌劇]][[花組]]公演「[[TAKARAZUKA舞夢!]]」で使われた「世界の終りの夜に」を作曲。
* 「YOSHIKIカレー『キレ辛』」を通信販売。かつてYOSHIKIが、食べたカレーが辛かったことに腹を立ててリハーサルをボイコットした事件が元ネタとなった。(現在は販売終了)
* [[12月1日]] 東京国際フォーラムで開かれた[[大韓民国|韓国]]映画「[[僕の彼女を紹介します]]」プレミア試写会で2年半ぶりにピアノを生演奏。<ref>[http://cinematoday.jp/page/N0005735 YOSHIKIも“猟奇的な彼女”にメロメロ - シネマトゥデイ]</ref>
'''[[2005年]]'''
* [[3月24日]] [[愛知万博の開会式]]において、公式テーマソング「[[I'LL BE YOUR LOVE]]」のオーケストラ演奏でタクトを振る。
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'''[[2007年]]'''
* [[5月25日]]、[[5月26日|26日]]に[[ロサンゼルス]]のWiltern Theaterで開かれたイベント『J rock festival』を主宰。
* [[9月20日]]、2008年公開予定のハリウッド映画「[[Repo! The Genetic Opera]]」の音楽総監督・製作総指揮・主題歌制作を務めることを表明した。<ref>[http://cinematoday.jp/page/N0011506 あのYOSHIKIが、パリス・ヒルトン次回作のプロデューサーに! - シネマトゥデイ]</ref>
'''[[2008年]]'''
* [[3月11日]]、日本テレビ開局55年記念ドラマ「[[東京大空襲]]」の主題歌として、書き下ろしの新曲「[[愛する人よ]]」を[[秋川雅史]]に提供と表明。
 
== 設立レーベル ==
* '''[[EXTASY RECORDS]]'''
:[[1986年]]にXのレコードを出す為に設立。後に[[LUNA SEA]]や[[GLAY]]、[[ZI:KILL]]を輩出する一大インディーズレーベルとなる。
* '''[[プラチナム・レコード|PLATINUM RECORDS]]'''
:[[1994年]]に[[ポリグラム]]グループとプロデューサー契約を結び設立。GLAYなどがこのレーベルからメジャーデビューした。
* '''[[EXTASY RECORDS|EXTASY JAPAN]]'''
:[[2000年]]に[[メディアファクトリー]]の出資を受け設立、イーストウエストジャパン(当時)と流通契約する。
* '''[[EXTASY RECORDS|EXTASY RECORDS INTERNATIONAL]]'''
:ロサンゼルスにあるエクスタシーレコーディングスタジオの運営会社。2000年に[[ワーナー・ブラザーズ|ワーナー・ミュージック・グループ]]と流通契約し、レーベルとして始動した。(※ワーナーグループの日米協業はこれが初)
 
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== エクスタシーレコーディングスタジオ ==
YOSHIKIはアメリカ・ロサンゼルスにレコーディングスタジオを2つ所有している。
YOSHIKIはアメリカ・ロサンゼルスにレコーディングスタジオを2つ所有している。X時代にレコーディングで使用していた、ノースハリウッドにある「One On One Recording」を買収し、後に「EXTASY RECORDING STUDIO」と改称(現在の「~NORTH」)した。このスタジオは[[メタリカ]]や[[ボン・ジョヴィ]]、[[マドンナ (歌手)|マドンナ]]など有名アーティストが使っていたが、YOSHIKIがX JAPANや自身のレコーディングでほぼ占有状態にしている。X JAPAN「ART OF LIFE」完成時の打ち上げではYOSHIKI達がスタジオを破壊、アメリカ音楽業界で話題になった(一部、タブロイド紙地方版にも掲載された)。なお、ロス市内のビバリービルボードにも「EXTASY RECORDING STUDIO SOUTH」を所有しており、前述のEXTASY INT'Lの本社もSOUTHにある。YOSHIKI談によると、EXTASY RECORDING STUDIOで使われている、又は所有しているレコーディング機材とキーボードなどの楽器を合わせると10億円を越える。
* '''EXTASY RECORDING STUDIO NORTH'''
XのボーカルTOSHIのホームページで、X復活に向けてTOSHIがYOSHIKIのスタジオへ出向いた後、YOSHIKIのスタジオについて「充実度はおそらく世界一です」と発言した。
YOSHIKIはアメリカ・ロサンゼルスにレコーディングスタジオを2つ所有している。:X時代にレコーディングで使用していた、ノースハリウッド・ランカーシムブルバードにある「One On One Recording」を買収しい取り後に「EXTASY RECORDING STUDIO NORTH改称(現在の~NORTHOne On One Recording)した。このスタジオは[[メタリカ]]や[[ボン・ジョヴィ]]、[[マドンナ (歌手)|マドンナ]]など有名アーティストが使っていたが、YOSHIKIがX JAPANや自身のレコーディングでほぼ占有状態にしてい。X JAPAN「ART OF LIFE」完成時の打ち上げではYOSHIKI達メンバーがスタジオを破壊、アメリカ音楽業界で話題になった(一部タブロイド紙地方版にも掲載された)。お、ロス市内のビバどアメービルボードカ音楽業界で話題も「EXTASY RECORDING STUDIO SOUTH」を所有しており、前述のEXTASY INT'Lの本社もSOUTHにある。YOSHIKI談によると、EXTASY RECORDING STUDIOで使われている、又は所有しているレコーディング機材とキーボードどの楽器を合わせると10億円を越えるった
* '''EXTASY RECORDING STUDIO SOUTH'''
:ビバリーブルバードに位置する。前述の「EXTASY RECORDS INTERNATIONAL」と「EXTASY MUSIC PUBLISHING」も同じ建物内にある。
 
両スタジオで使われている、又は所有しているレコーディング機材とキーボードなどの楽器を合わせると10億円を越えるとYOSHIKIは明かした。また、X JAPANのボーカルTOSHIがX JAPAN復活に向けてTOSHIがYOSHIKIのスタジオへ出向いた後、YOSHIKIのスタジオについて「充実度はおそらく世界一です」と自身のホームページで明かした。
== 持病 ==
* X時代、YOSHIKIの激しいドラムプレイは何度もライブの中止・延期を引き起こした。初期の頃は頭を激しく振りつつ、若さを利用した力任せなプレイで叩いた為、代償として[[頚椎]][[椎間板ヘルニア]]や[[神経循環無力症]]などを相次いで発症。これらの症状の為、回復後は首にコルセットを巻いてドラムを叩いていた。今度倒れたら車椅子生活になると医師から宣告されたYOSHIKIは、再発防止の為に首をはじめ全身に筋肉をつけるよう勧められる。ドラムというパートの特性上、元々筋肉質の体ではあったが、自宅にジムを作ってトレーニングに励んだ結果、見た目が変わるほどにまで筋肉が強化されている。2008年7月5日のパリ、8月2日の台北、9月13日のニューヨークのX JAPANの公演を予定していたが、持病の椎間板ヘルニアを復活ライブで悪化させ、無期延期となってしまったが、その後、病状が回復したためパリ公演を同年11月22日に行うことが決定した。
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== 家族関係 ==
* 10歳の時に[[父親]]が[[自殺]]している(奇しくもhideと同じく33歳だった)。彼の人生を大きく左右させることになる。彼の楽曲「[[Tears (X JAPANの曲)|Tears]]」は、亡き父親を想って書かれた曲である<ref>[[オールナイトニッポン]]1998年5月9日放送で本人が発言、同時にhideが父親と同年齢で亡くなった事に対する複雑な心境を吐露していた</ref>。
* 父親の死後は母親の一人手で育てられた。中学高校と学業優秀でも素行が荒れた問題児であったが、家ではプロの音楽家を目指し練習に没頭する[[子供]]であり、[[母親]]はこれに投資を惜しまなかった。自主制作レーベル[[EXTASY RECORDS]]立ち上げに際しても出資し、YOSHIKIの音楽活動を支える強力なスポンサーであった。2000年春に[[今上天皇]]主催の園遊会に[[母親]]と共に出席し、[[今上天皇]]より『あなたが(在位十年記念式典で)ピアノを演奏してくれたんですね?』と声を掛けられにこやかにた際、「光栄です」と答えていた。この模様はその後にテレビの皇室番組でオンエアされ、そのときのインタビューでも「(一緒に出席した)母親に親孝行ができた」と語っていた。ちなみに、参加者は胸にネームプレートを付けていたが、そこには「YOSHIKI」ではなく、本名の「林 佳樹」の名前が記載されていた。
* 5歳年下の弟は俳優の[[林光樹]]である。[[田辺エージェンシー]]所属の俳優であるが、現在は主に兄YOSHIKIのマネージメント業務をしている。
== ディスコグラフィ ==
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* Kiss My Ass: Classic Kiss Regrooved <small>(1994/6/21)(PHCR-1245)</small>
* [[hide TRIBUTE SPIRITS]] <small>(1999/5/1)(PCCM-00002)</small>
;その他
* スターライトYOSHIKI <small>(1992)([[タカラ (玩具)|タカラ]]から、)[[リカちゃん|リカちゃん人形シリーズ]]初の実在する人物の人形「スターライトYOSHIKI」発売。がモデル</small>
* Larme(ラルム) <small>(1993)YOSHIKIのプライベートブランド。香水と下着を発売</small>
 
== TV出演 ==
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* [[NHK総合テレビジョン|NHK総合]] 第1回「わたしはあきらめない」<small>(2002/4/3)</small>
* [[NHKデジタル衛星ハイビジョン|NHK BS-hi]] 第12回「いま裸にしたい男たち ~YOSHIKI 沈黙の5年 そして復活~」<small>(2003/2/10)</small>
* [[フジテレビ]] [[HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP]] <small>(2005/5/30)</small>
* [[日本テレビ]]「[[行列のできる法律相談所]]」<small>(2008/1/13)</small><ref>同番組のオークション企画で、[[Forever Love (X JAPANの曲)|Forever Love]]を作曲したときの楽譜および原曲CDを出品し、落札金額を[[カンボジア]]における学校建設のため寄付した。</ref>
* 日本テレビ「行列のできる法律相談所」<small>(2008/4/27)</small><ref>オークション企画で、[[Forever Love (X JAPANの曲)|Forever Love]]を作曲したときの楽譜および原曲CDを出品し、落札金額を[[カンボジア]]における学校建設のため寄付した。</ref>
;CM
* [[セブンイレブン・ジャパン]]