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その後、[[朱全忠]]の軍に身を投じて信任され、副将として朱全忠に従い、各地を転戦した。[[907年]]に朱全忠が[[唐]]を滅ぼして[[後梁]]を建てると、荊南節度使に任命され、戦火の絶えなかった湖南の復興に尽力する一方で勢力を拡大した。この時点で後梁から半独立した荊南という王朝が成立したのである。
 
[[912年]]に朱全忠が死ぬと、[[荊州]](湖北省[[荊州市|江陵]])・[[帰州]]([[秭帰]])・[[峡州]]([[宜昌]])の3州をもって自立したが、末帝([[朱友貞]])が即位すると後梁に再び帰順し、渤海王に封じられた。
 
[[923年]]に後梁が[[後唐]]に滅ぼされると、後唐に服属して[[925年]]に南平王に封ぜられる。しかし後唐の[[前蜀]]攻めに際して、自らの蜀に勢力を伸ばす構想を阻まれた事から後唐と断絶して抗争し、東の[[呉 (十国)|呉]]に服属した。