「ジャック・ヴィルヌーヴ」の版間の差分

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ちなみにルーキーのジャックが初年度から活躍した事にはいくつかの要素が考えられ、その中でもデビュー前の徹底的なテスト走行が挙げられる。そのためマシンに対する習熟は進んでいたが、ルーキーならではのマシントラブルやコースコンディションの悪化に対する対応に苦労する点が見られ、初優勝は第4戦であった。
 
参戦2年目となる1997年には、ヒルの移籍で名実共にエースドライバーとなり、チャンピオン最有力候補に挙げられた。チームメイトの[[ハインツ=ハラルド・フレンツェン]]を圧倒して7勝を挙げたが、チームの戦術ミスなども重なり、急速に戦力を上げたミハエル・フェラーリ陣営にポイントリードを許す展開となった。[[日本グランプリ (4輪)|日本GP]]では予選中の黄旗無視のかどでレース後に失格処分を受け、1ポイントのビハインドで最終戦[[ヨーロッパグランプリ|ヨーロッパGP]]を迎える。決勝では、ポールポジションを獲得するも、決勝では序盤、ミハエルに先行を許す。しかし、中盤以降、ミハエルのペースが上がらず、追いついたジャックは、ヘアピンコーナーで思い切って仕掛け、虚を突かれたミハエルはジャックに故意にぶつけるが、ミハエル自身がコースアウトしリタイア。ジャックはマシンにダメージを負うが3位で無事完走にし、亡き父の成し遂げられなかった悲願のF1ワールドチャンピオンとなった(ミハエルはランキング取り消し処分)。また、チャンピオン争いをしたミハエル・シューマッハとはこの年において、不思議なことに一緒に表彰台に立つことはなかった
 
=== B・A・R時代 ===