「ワット・アルンラーチャワラーラーム」の版間の差分

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後のバンコク王朝(チャクリー王朝、現王朝)の創始者[[ラーマ1世]]は、トンブリー王朝時代の[[1779年]]にタークシン王の命を受け、ヴィエンチャンを攻略、そして、戦利品として[[エメラルド仏]]を持ち帰り、この寺院内に安置された。しかし、1782年にバンコク王朝ができ、エメラルド寺院の建立に伴い、エメラルド仏はイッサラスントーン親王(後の[[ラーマ2世]])によってエメラルド寺院・[[ワット・シーラッタナーサーサダーラーム|ワット・プラケーオ]]に迎えられた。寺院はその後、ラーマ2世により[[1820年]]ヒンドゥー教の暁神'''アルーナ'''から現在の名称となる。以降ラーマ2世の個人的な保護を受け、ラーマ2世の菩提寺となった。
 
この寺院で最も特徴的なトウモロコシのような形をした大仏塔はバンコク様式で、高さは75m、台座の周囲は234m(異説あり)。中心の大塔を4つの小塔が取り囲み、須弥山を具現化している。大塔の上方にはインドラ神が三つの頭を持つ象[[アイラーヴァタ|アイラヴァータ]](タイ語でエラワン)の上に鎮座しているのは、須弥山山頂の忉利天を表している。塔の表面は陶器の破片で飾られ、さらに基壇の部分にはラーマキエン物語に登場する鬼やガルーダ、ハヌマーンが飾り付けられている。このような陶器を用いた建築の装飾は中国美術の影響によるもので、ラーマ3世時代に多く用いられたものである。塔は19世紀、ラーマ2世のころから建設がはじまり、ラーマ3世のとき完成し、現在みられる姿となった。
 
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