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[[Image:Longshan eggshell thin cup.jpg|thumb|200px|卵殻陶でできた高柄杯。山東省[[諸城市]]呈子遺跡から1976年に出土した龍山文化の陶器]]
 
[[Image:CMOC Treasures of Ancient China exhibit - black pottery goblet.jpg|thumb|200px|卵殻陶でできた高柄杯。山東龍山文化の出土品]]
[[Image:CMOC Treasures of Ancient China exhibit - white pottery gui (1).jpg|thumb|200px|鬹(き)、三本脚の調理器。山東龍山文化の出土品]]
'''龍山文化'''(りゅうざんぶんか、{{lang|zh|龙山文化}}、{{ピン音|Lóngshān wénhuà}}: ロンシャン・ウェンフア, [[紀元前3000年]]頃-[[紀元前2000年]]頃)は、[[中国]]北部([[華北]])の[[黄河]]中流から下流にかけて広がる'''[[新石器時代]]'''後期の文化である。黒陶が発達したことから黒陶文化ともいう。
 
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== 黒陶と都市の発達 ==
[[Image:CMOC Treasures of Ancient China exhibit - black pottery goblet.jpg|thumb|200px|卵殻陶でできた高柄杯。山東龍山文化の出土品]]
龍山文化は、[[山東省]]東部の[[章丘市]]龍山鎮にある城子崖遺跡で[[1928年]]に黒陶が出土し[[1930年]]に発掘されたことから来ている。龍山文化の特徴は、高温で焼いた灰陶・黒陶を中心にした[[陶器]]の技術の高さにあり、器の薄さが均一であることから[[轆轤|ろくろ]]が使われていたと見られる。特に'''卵殻陶'''と呼ばれるものは、器を卵の殻のようになるまで(0.5 - 1㎜)薄くした黒陶の陶器で、さらに磨きをかけて黒光りさせるか精細な文様を彫り込んだものである。これは黄河流域のみならず[[長江]]流域や中国の南部海岸付近でも発見されており、龍山文化の広がりを示している。陶器の生産の効率の上昇は、出土する陶器の数や種類が前の文化に比べ増大したことにもみられ、[[鼎]]や鬹、高柄杯など、調理器や食器として使われた多様な黒陶・灰陶の陶器が出土している。
[[Image:CMOC Treasures of Ancient China exhibit - white pottery gui (1).jpg|thumb|200px|鬹(き)、三本脚の調理器。山東龍山文化の出土品]]
龍山文化は、[[山東省]]東部の[[章丘市]]龍山鎮にある城子崖遺跡で[[1928年]]に黒陶が出土し[[1930年]]に発掘されたことから来ている。龍山文化の特徴は、高温で焼いた灰陶・黒陶を中心にした[[陶器]]の技術の高さにあり、器の薄さが均一であることから[[轆轤|ろくろ]]が使われていたと見られる。特に'''卵殻陶'''と呼ばれるものは、器を卵の殻のようになるまで(0.5 - 1㎜)薄くした黒陶の陶器で、さらに磨きをかけて黒光りさせるか精細な文様を彫り込んだものである。これは黄河流域のみならず[[長江]]流域や中国の南部海岸付近でも発見されており、龍山文化の広がりを示している。陶器の生産の効率の上昇は、出土する陶器の数や種類が前の文化に比べ増大したことにもみられ、[[鼎]]や[[鬲]]、鬹、高柄杯など、調理器や食器として使われた多様な黒陶・灰陶の陶器が出土している。
 
陶器のほか、[[石包丁]]など[[石器]]や骨器などの武器や道具、[[ヒスイ]]などの玉なども出土している。龍山文化の後期には[[青銅器]]も出現しており、[[殷]]代・[[周]]代(あるいは殷の前にあったとされる[[夏 (三代)|夏]]代)の[[青銅器時代]]に入る過渡期であったと考えられる。
 
龍山文化の社会に現れた大きな変化は、'''[[都市]]'''の出現である。初期の住居は[[竪穴式住居]]であったが、やがて柱や壁を建てた家屋が出現した。また土を突き固めた[[城壁]]や[[堀]]が出土しており、特に[[山西省]][[襄汾県]]の陶寺郷の南で発見された陝西龍山文化の遺跡・'''陶寺遺跡'''([[紀元前2500年]] - [[紀元前1900年]])は龍山文化の都市遺跡の中でも最大級のものであった。