「江沢民」の版間の差分

日本に対しては一貫して反日・強硬姿勢を貫いた。
 
訪日は[[1998年]]11月におこなわれているが、この際にも[[今上天皇]]と当時の[[小渕恵三]]首相に過去の歴史に基づいた謝罪要求をし、その執拗さに保守派のみならず親中派の反発まで買うことになった。またこの際の11月26日に行われた天皇皇宮主催の[[豊明殿]]での宮中晩餐会の席上、江澤民は中国共産党の礼服である中山服([[人民服]])で出席。これが非礼ではないかと問題視されたする者もいる。これに対して中国政府側は「式服か民族服を着用するように日本外務省から要望があったために、中山服を民族服として選んだ」としている。
 
この訪日の際に、講演をおこなった[[早稲田大学]]からの名誉博士号の授与を固辞している。これは、同大創立者・[[大隈重信]]が首相時代に[[対華21か条要求]]を出した為である。これに対して、「なぜ事前にこの事実を確認せずに同大学において公演を行ったのか」といぶかしむ声もある。
 
またこれに先立つ[[1997年]]10月の訪米時、[[ハワイ]][[真珠湾]]へ立ち寄って[[戦艦アリゾナ]]記念館に献花をおこない、ここで日本の中国(当時の中国大陸は[[中華民国]]の[[中国国民党]]政府の統治下であった)侵略と[[真珠湾攻撃]]を批判。歴史修正主義者からは「歴史問題を通じての米国への接近、ひいては日米離間を狙った演説だったとされている。
 
日本首相による[[靖国神社]]参拝には断固反対の立場をとった。江澤民と後任の胡錦濤は、靖国神社を毎年参拝した[[小泉純一郎]]首相とは極力首脳会談を行わなかった。
 
[[2006年]]8月に発売された[[江澤民文選]]によると、1998年8月「(日本に対しては)歴史問題を始終強調し、永遠に話していかなくてはならない(=プレッシャーをかけ続けなければいけない)」と外国に駐在する[[大使]]など外交当局者を集めた会議で指示を出していた。同年11月に中国国家主席として初めて日本を訪れた際は「日本政府による歴史教育が不十分だから、(国民の)不幸な歴史に対する知識が極めて乏しい」と根拠に乏しい発言をして、日本の歴史教育を激しく非難している。
 
==略歴==
1

回編集