「ルイ・フィリップ・ロベール (オルレアン公)」の版間の差分

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'''オルレアン公ルイ・フィリップ・ロベール'''('''Louis Philippe Robert, duc d'Orléans''', [[1869年]][[8月24日]] - [[1926年]][[3月28日]])は、[[フィリップ (パリ伯)|パリ伯フィリップ]]の息子で、[[オルレアン派]][[フランス王国|フランス]]王位請求者。フランス王[[ルイ・フィリップ (フランス王)|ルイ・フィリップ1世]]の曾孫に当たる。
 
オルレアン公は、[[1848年]]にルイ・フィリップ王が退位して以来その家族が亡命していた[[ロンドン]]郊外の[[トゥイッケンハム]]([[:en:Twickenham|Twickenham]])に生まれた。[[1894年]]に父が死去すると、オルレアン派の王位請求者となり、そして王党派には'''フィリップ8世'''として知られた。その2年後、[[オーストリア]]大公女[[マリー・ドロテア・フォン・エスターライヒ]]([[レオポルト2世 (神聖ローマ皇帝)|レオポルト2世]]の曾孫、[[1867年]] - [[1932年]])と結婚した。
 
1926年、オルレアン公は[[パレルモ]]で没した。
 
{{先代次代|[[オルレアン家#オルレアン派王位請求者|フランス王位請求者<br>(オルレアン派)]]|[[1894年]] - [[1926年]]|[[フィリップ (パリ伯)|フィリップ7世]]|[[ジャン (ギーズ公)|ジャン3世]]}}
 
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