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'''小黒 八七郎'''('''おぐろ やなお'''、[[1929年]][[7月24日]] - [[1997年]][[11月18日]])は、[[日本]]の[[医師]]、[[内科]][[学者]]、[[消化器]]病[[学者]]、[[博士_(医学)|医学博士]]。
 
== 来歴・人物 ==
[[新潟県]][[三島郡_(新潟県)|三島郡]][[寺泊町]](現[[長岡市]])出身。[[新潟県立新潟高等学校|新潟県立新潟中学校]]を経て[[1945年]][[海軍兵学校]]に入学するが、敗戦により学校が閉校。その後、[[1953年]][[東京大学]][[医学部]]を主席で卒業。日本に[[内視鏡]]治療を広めた[[パイオニア]]。
 
母校の第一内科研究生・講師を経て、[[1962年]]から[[国立がんセンター]]の内科医長・[[内視鏡]]部長を歴任。また日本消化器内視鏡学会長、[[レーザー内視鏡国際協力委員長]]も務め、内視鏡レーザー治療による'''[[胃癌]]治療の第一人者'''と言われた。
 
'''胃癌の内視鏡診断の確立'''により田宮記念賞受賞。
 
小黒の業績としては、世界で初めて早期[[癌]]の治療を内視鏡を使って行ったことがあげられる。また、目盛り付き[[胃カメラ]]や[[自動露出内視鏡]]といった癌の[[早期発見]]・治療に必要な器具を発明したことも小黒の実績であるといえる。
 
日本の胃癌治療に多大な貢献をしたとして、[[勲三等]][[瑞宝章|瑞寶章]]を受賞。
 
[[1997年]]11月18日胃癌にて死去。[[享年]]68。生前の数多くの功績を讃えられ、没後、[[従四位]]に叙せられる。
 
長女は[[エッセイスト]]、[[声優]]、[[ラジオ番組]]の[[ラジオパーソナリティ|パーソナリティ]]として活している[[小森まなみ]]。
 
== ==
*[[東京大学]][[医学部]]講師
*[[東邦大学]][[医学部]]客員講師
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*[[日本癌治療学会]]評議委員、元理事
 
== 著書 ==
*胃癌と内視鏡検査」「』『内視鏡パラメディカルの進歩など数十冊
 
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