「民主正義党」の版間の差分

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「候補を擁立した選挙」の表に年月日と得票率を追加。歴史に加筆
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[[1980年代]]を通じた韓国の政権政党でありながらも、[[盧泰愚]]政権への移行する際に出た[[1987年]]の[[民主化宣言]]の後は[[穏健]]化した。[[社会民主主義]]政党の積極的な育成にも言及したことがある。
 
16年ぶりの国民による直接選挙となった1987年[[12月26日]]の[[第13代1988年大韓民国大統領選挙 (大韓民国)|第13代大統領選挙]]で盧泰愚が、[[統一民主党]]の[[金泳三]]と[[平和民主党]]の[[金大中]]の間隙を縫って、4割足らずの得票率で当選したが、[[1988年]][[4月26日]]の第13代総選挙では、民正党が過半数を大きく割り込み、野党が国会の多数を占めることになった('''与小野大''')。そのことに危機感を抱いた民正党は[[1990年]][[1月30日]]、統一民主党・[[新民主共和党]]と合同し、[[新韓国党|民主自由党]]となった。[[金泳三]]へと政権を移譲するための合同とみなされたが、実際には合同後に激しい権力闘争が繰り広げられた。結果的には金泳三が民主自由党を代表する大統領候補となり、[[金大中]]と対決した。
 
== 民主正義党が候補者を擁立した選挙 ==
{|class="wikitable" style="text-align:center"
!年!!大統領選挙!!候補者!!得票率!!当落
|+大統領選挙
|-
![[1981年]][[2月25日]]
|[[第11代総選挙 (大韓民国)|1981年大韓民国大統領選挙]]
|全斗煥
|90.2%
|'''当選'''
|-
![[1987年大韓民国大統領選挙]][[12月16日]]
|[[1987年大韓民国大統領選挙]]
|盧泰愚
|36.6%
|'''当選'''
|}
{|class="wikitable" style="text-align:center"
!年月日!!総選挙!!議席数<br>(地域区+全国区)!!得票率
!代!!議席数
|+総選挙
|-
!1981年[[3月25日]]
!|[[第11代総選挙 (大韓民国)|第11代総選挙]]
|151
|151 (90+61)
|35.6%
|-
![[1985年]][[2月12日]]
|[[第12代総選挙 (大韓民国)|第12代総選挙]]
|148 (87+61)
|148
|35.2%
|-
![[1988年]][[4月26日]]
!|[[第13代総選挙 (大韓民国)|第13代総選挙]]
|125
|125 (87+38)
|34.0%
|}
==関連項目==