「第十八富士山丸事件」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
4行目:
本来なら「密航者を連れてきた船は、密航者を元の国に送り届ける義務がある」との法律に従った行動をとるべきであったが、当局の指示で[[北九州市]]門司で身柄を引き渡した。ところが密航者が取り調べの最中に[[日本政府]]に[[亡命]]を申請し身柄を送還することができなくなった。
 
一方、北朝鮮に11月11日に入港した第十八富士山丸の乗組員5人が抑留され、うち日本人紅粉船長と栗浦好雄機関長の2人が密航の幇助及び継続的な[[スパイ]]行為の容疑ありとされて解放されなかった。船も抑留され栗浦機関長が修理に整備に当たったが、発電機破損により修理不能となり廃船となった。また北朝鮮は[[1987年]][[1月]]に発生した北朝鮮医師金萬鉄一家11人が亡命を求めて日本の[[福井新港]]に漂着した[[ズ・ダン号事件]]では、日本政府が金萬鉄の自由意志による第三国(韓国)への亡命を尊重し、日本政府が対応許可したにもかかわらずことを「政治的謀略行為」と非難したうえで、漁業問題についても強硬な態度に出るしかなく、第十八富士山丸事件の抑留している2人の帰国が困難になったと表明し、本来は直接関係のない当事件とリンクした対応をした。乗組員2名は、1987年11月に閔洪九が日本で仮釈放された直後(12月)に裁判にかけられ、[[1988年]]に北朝鮮の法廷は教化労働15年の刑罰を宣告し、2年5ヶ月の獄中生活を強いられる事になった。
 
このように実質的な拉致事件と同様な不当な侵害に対し日本政府は解放要求をしたものの、日本国[[外務省]]は「国交がないから,民間ベースで話し合え」として国交が無いことを理由に不作為に終始した。また北朝鮮の友好国等の第三国を仲介しての解放交渉も全く行われなかった([[赤十字社|国際赤十字社]]を仲介にしていたともいわれているが)。この構造は北朝鮮による人質外交であり、一方的に抗議は行うが具体的な解決策を講じようとしない現在の日本人拉致問題と全く同じといえる。