「ニューアーク (防護巡洋艦)」の版間の差分

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広範囲なオーバーホールの後、ニューアークは1898年5月23日、[[米西戦争]]開戦直後に艦長A・S・バーカー大佐の指揮下再就役した。6月13日に[[キーウェスト]]および[[キューバ]]に向けて出航し、6月30日に封鎖部隊に加わる。その年の夏を通してキューバ水域を巡航し、8月12日には[[マンサニヨ]]への砲撃を行い、翌日スペイン軍は降伏した。[[サンティアーゴ・デ・クーバの戦い]]の後、ニューアークは[[パスクワル・セルベラ]]提督の艦隊に対する最終攻撃に参加した。ニューアークは1898年11月26日にニューヨークに帰還した。
 
1899年3月23日にニューヨークを出航したニューアークは南アメリカの偵察を行い、途中多くの港を訪問した。航海途中の4月7日、ニューアークは[[マゼラン海峡]]を通って[[サンフランシスコ]]へ向かう様命じられる。ニューアークは[[石炭]]が不足し、[[チリ]]のポート・ロウへの寄港を強いられた。5月31日から6月22日まで同港に立ち寄り、燃料として木を切った。ニューアークは9月4日に[[メア・アイランド海軍工廠]]に到着し、修理を行った後10月17日に出航、[[ホノルル]]を経由して11月25日に[[フィリピン]]の[[カヴィテ]]に到着、[[米比戦争]]での[[アメリカ陸軍]]を支援した。[[ルソン島]]の[[ビガン]]沖に停泊したニューアークは、駐屯部隊を上陸させた後12月10日に[[アパリ]]に移動、[[カガヤン州]]、[[イサベラ州]]、[[バターン州]]で敵の降伏を受諾した。
 
1900年3月19日に香港に向けて出航し、3月22日に[[モニター]]の[[モナドノック (モニター)|モナドノック]] (''USS Monadnock, BM-3'') と合流、船団はカヴィテに向かった。4月3日に到着し、24日に横浜に向けて出航、3日後に到着した。その後ニューアークはアジア艦隊副司令官ルイス・ケンプ少将の乗艦となり5月20日に[[中国]]へ向けて出航、[[義和団の乱]]鎮圧部隊の増援に向かう。5月22日に[[天津市|天津]]に到着、ニューアークは同地を拠点として[[大沽炮台]]、[[煙台市|煙台]]で作戦活動に従事する。その後7月末に[[日本]]の[[呉]]に向かい、続いてカヴィテに移動、フィリピン戦隊司令官の乗艦となる。1901年4月半ばに帰国の途に就き、[[香港]]、[[セイロン]]、[[スエズ]]を経由して7月後半に[[ボストン]]に到着、7月29日に退役した。
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